名城大学経済学部 杉山清ゼミレポート提出用ブログ(森)

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杉山清基礎ゼミは、各々の自主学習に重きを置いており、その特性として2週間かけて1つのテーマについて熟考すると言ったスタイルで行われています。よって他のゼミよりも90分のコマの中身が濃いのが特徴だと思われます

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吉岡知哉、日比嘉高、冨山和彦
この三人の考え方は大きく分けて二つに分けられると思う。
 吉岡氏と日比氏は、大学とは自由に幅広い分野を学ぶ場所であり、時には必要とされたない分野の事もしっかりと学んでおく必要があるという考え方を示している一方で、富山氏はそれをある種否定する実社会に通じる教育こそが重要なのであり、それ以外を教える事は生徒にとってためにならない。メシの種に直結する事を教えてあげた方がよいと言う考えを示している。
 前者と後者の考え方の違い、それはこの3人のそれぞれの立場を知ると見えてくるだろう。
吉岡氏と日比氏は、いわば大学サイドの人間であり、冨山氏は実践力を重視する現代企業サイドの経営コンサルタントだ。
両者の立場を見ると、このような意見が出るのもわかる気がする。結局は個々の視点から正しいと感じた事を述べているのであり、単純にどちらが正しいという問題でもない。
しかし、そのどちらの意見も納得させられることが書いてあるように感じた。
前回のゼミ課題でも述べたように、私はどちらかと言うと冨山さんサイドの考え方で、自分に必要な実践的な知識のみを学ぶべきだと思っていた。
しかし、日比氏の言っているように数十年後にいわゆる現代企業がどのようになっているかが見えていなかったのだ。
「世界の亀山」で知られるシャープの凋落やソニーの停滞を見るに、一見して盤石に見えた大企業でさえも、数年後にはどうなっているかわからないのだ。であれば、今は必要とされない知識も、今後必要になってくるかもしれない。
そのすべてを学びつくすと言う事は出来ないかもしれないが、少なくとも基礎的な知識基盤を固めることは可能であると感じた。
そういう意味で、今回の安倍政権の国立大の国旗掲揚・国歌斉唱を要請する決定は、左翼的な考え方を封じるものであり、それ自体が良い物かどうかは別として、大学のあり方としては間違っていると感じた。
また、君が代問題は、歌った歌わないで大の大人が争っているのを見て子供がどう思うかを考えて欲しいと率直に感じた。
 私が小学生2年生のころ、板谷と言う教師が担任を務めていた。彼はいわゆる反日教師であり、総合の授業では戦争をテーマにした授業を行っていた。彼もまた国歌斉唱の時起立しない人間であった。個人的な感想だが、まだ低学年だった私の浅い考えから見て、彼の行動は不思議で仕方なかった。考え方に右も左もない子供から見て、周りと違う事をしている大人がいるのは不気味に映ったのを覚えている。
当然そんな教師は尊敬されることもなく、私が4年に上がることには別の学校へ飛ばされて行った。風の噂では子供に変な名前をつけようとして役所に止められ、逆上して裁判を起こしたと聞いている。
何が言いたいかと言うと基本的に頭のおかしい人間としか認識されませんよと言う事だ。本人に高尚な考えがあったとしても周りからは寒い目で見られ、虐げられるとしても、その上でまだ歌いたくないと言うのならどうぞご勝手に。
あぁ、国がどうこう言うのはナンセンスだと思いますよ。好きにしてください。
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