何気ない風景と独り言

何気ない風景と独り言

神社仏閣を中心に古建築・史跡などを巡ってその縁起や歴史を知り、建物や意匠の詳細を鑑賞する。そして、ふと目に留まった何気ない風景を切り取って、大切な想い出にしたい。

【大聖堂アヤソフィア…古代ローマ時代建立でビザンチン建築とイスラム様式の融合による建築や芸術が残る聖堂】

【トルコ・イスタンブール】第一次大戦が終結(1918年)した後、オスマン帝国が滅亡して1923年にトルコ共和国が成立したが、しばらくの間、アヤソフィアはモスクとして使用されていた。初代大統領アタテュルクによる世俗化の要請と議会の決定を受けて一旦閉鎖し、修復が行われた後の1935年、アヤソフィアは博物館として一般公開された。しかし、2020年、イスラム系団体から提訴を受けたトルコの最高裁判所がアタテュルクの施策を無効とする判決を下したの受け、親イスラム政党を率いるエルドアン大統領はアヤソフィアをイスラム教のモスクに戻した。


★内陣から6世紀に敷かれた石床を進んで後陣に。正面奥のキリスト教の祭壇があった半円形のアプスに、聖地メッカの方向を示す ”ミフラーブ” が設けられているが、正面中央ではなくやや右寄りに設置されている。 ”ミフラーブ” の右手に ”ミンバル” と呼ばれる説教壇があるが、最上檀に上がれるのは預言者ムハンマドのみで、イマーム(イスラム教の指導者)は階段の途中で説教を行うのだそう。されど、預言者ムハンマドはこの世にいないのだが....。


△石造りの床は6世紀に敷かれたもの

△メッカの方向を示す壁龕 ”ミフラーブ” は建物の正面中央ではなくやや右寄りに設置....元はキリスト教の聖堂だったので正面がメッカの方向を向いていなかったため

△最奥にあるかつてキリスト教の祭壇が置かれていたアプス(半円形の空間、後陣)に設けられた ”ミフラーブ” ....聖地メッカの方向を示している

△ ”ミフラーブ” の右手に ”ミンバル” と呼ばれる説教壇

 

△聖地メッカのカーバ神殿の方向を示す ”ミフラーブ” は15世紀にメフメット2世によって設置された....両脇の巨大な燭台はスレイマン大帝がオスマン帝国ハンガリーから持ち込んだもの/金曜日の礼拝の際に使われる説教壇 ”ミンバル” ....最上の檀に上がれるのは預言者ムハンマドのみで,説教を行うイマーム(イスラム教の指導者)は階段の途中で説教を行う

△説教壇 ”ミンバル” の右上の上回廊....左の円盤 ”カリグラフィー” はアッラーの名前が

 

★天井ドームの下の内陣の一角に ”オンファリオン” と呼ばれる大理石の方形の床があって、立ち入り禁止になっている。約5.6m四方の中に色分け(緑、オレンジ、赤、灰色、黄色)された大小16個の円があり、真ん中の大きな円はビザンチン皇帝の戴冠式が行われた場所で、ここに皇帝が立ったそうだ。

△説教壇 ”ミンバル” の前に設けられた部屋....スルタンが礼拝する場所か?

△アヤソフィア大聖堂を僅か5年で完成させた要因の一つは各地の神殿の柱を再利用したかららしい

△6世紀に敷かれた大理石の床に色分けされた大小16個の円がある約5.6m四方の ”オンファリオン” ....大きい円はビザンチン皇帝の戴冠式が行われた際に皇帝が立った所

△側廊から大理石の柱越しに眺めた聖堂の内陣

 

★内陣の拝廊側に「ベルガマの清めの壺」と呼ばれる大理石製の大きな水瓶がある。オスマン帝国時代に古代都市ベルガマの遺跡から出土された壺で、紀元前2世紀に一枚の大理石の塊から造られたというから驚きだ。

聖堂内陣の拝廊を背にして左奥に、保護のため土台近くの部分だけ青銅版に覆われた「湿った柱」と呼ばれる大理石の柱がある。「聖母マリアの手形」と言われ、親指を入れて捻るように手を360°回すと願い事が叶うとかで、多くの女性が列をなしていた。

△「ベルガマの清めの壺(水瓶)」越しに見た聖堂内陣....左奥は ”ミフラーブ” と説教壇がある後陣

 

△オスマン帝国時代に古代都市ベルガマ遺跡から出土された巨大な大理石製の甕壺(儀式の浄化用壺)....紀元前2世紀に一枚の大理石の塊から彫られた/土台近くの部分だけ青銅版に覆われた大理石の「湿った柱」のユスティニアヌス1世が額を掛けた穴.....「聖母マリアの手形」と言われ、親指を入れて捻るように手を360°回すと願い事が叶うとか

 

★拝廊(内廊)の北側から石畳のスロープを登って上回廊に....。上回廊からは聖堂内の全体が見渡すことができ、改めてビザンチン建築とイスラム様式の見事な融合に感心させられ、そして歴史の深さをまざまざと感じさせる。

△拝廊(内廊)の北側から「石畳のスロープ」を登り、上回廊から眺めた大聖堂の内陣....最奥が ”ミフラーブ” と説教壇がある後陣

△上回廊は馬蹄形で、身廊を三方から囲み後陣によって切られている

△ ”ミフラーブ” に向かって左側の上回廊の手摺

△上回廊の一画


 

 

 

【大聖堂アヤソフィア…古代ローマ時代建立でビザンチン建築とイスラム様式の融合による建築や芸術が残る聖堂】

【トルコ・イスタンブール】ローマ帝国(ビザンティン帝国)時代の紀元360年、皇帝コンスタンティヌス1世の命によって正統派キリスト教の大聖堂として建設された。404年の大主教ヨハネス追放の争乱で焼失し再建されたが、532年の”ニカの乱”と呼ばれる市民の反乱が起こった際、反皇帝勢力によって破壊された。 ”ニカの乱” 終結後、皇帝ユスティニアヌス1世によって再建された3代目の大聖堂が現在のアヤソフィア。1453年、オスマン帝国により東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルが陥落し、ビザンティン帝国が滅亡すると、アヤソフィアはオスマン皇帝の征服王スルタン・メフメト2世によってイスラム教のモスクに変えられた。イスラム教は偶像崇拝を禁止しているため、内部のモザイク画は500年もの間漆喰で塗り固められた。一方、イスラム装飾として4本のミナレットが立ち、内部にはアラビア文字でアッラーや預言者の言行が書かれた巨大な円盤 ”カリグラフィー” が掲げられ、 ”ミンバル” と呼ばれる説教壇や聖地メッカの方向を示すミフラーブ等が設置された。

 

★ ”アヤソフィア” はもともとキリスト教の聖堂として約1670年前に建立されたが、巨大なドームと四隅に聳える煉瓦造りの4基のミナレットからどうみてもイスラム教のモスクだ。つい最近の2020年までは博物館とされていたが、以降はイスラム教のモスクに戻ったそうだ。

△ローマ帝国時代の紀元360年、東ローマ帝国首都コンスタンティノープルにコンスタンティヌス大帝がキリスト教(ギリシャ正教)の聖堂として建立

△オスマン帝国が征服した後はキリスト教会の建築を消し去ってイスラム教のモスクに改築....四隅4本のミナレットはオスマントルコ帝国時代になって建設された

△アヤソフィア正面の全景....アヤソフィアは2020年までは博物館だったが、以降は再びメフメト2世時代に登録されたモスクに戻った

△ドームはモルタルと軽くて頑丈なレンガで造られ、1400年間建ち続けている....ドームは高さ約56m、直径約31mで、40本の柱がドームを支えている

△煉瓦造りの巨大な尖塔ミナレットの高さは約61m

 

★南側の堅牢な門から入り、玄関ロビーの青銅の大扉から拝廊を覗くと、聖堂の入口とビザンティン文化の象徴であるモザイク画が見える。聖堂の入口は皇帝専用の大理石の扉で、その上部のティンパヌム(扉上の半円部分)にキリスト、聖母マリア、大天使ガブリエルそしてキリストに跪く皇帝レオン6世が描かれている。他のティンパヌムに描かれたモザイク画は聖母子に献上する皇帝が描かれている。拝廊は外廊と内廊からなり、拝廊を通って内陣(本堂)に進む。

△アヤソフィア南側のアーチ型の入口

△建物の壁は切石とローマ時代のレンガが積み上げられている

△南入口の玄関ロビー「拝廊」の青銅の大扉からみたのモザイク画と聖堂入口

△拝廊南側の扉のティンパヌム(扉上の半円部分)に描かれたモザイク画....中央にキリスト、左右円内に聖母マリアと大天使ガブリエルで、膝ずくのはキリストに4番目の妃との結婚の許しを請う皇帝レオン6世

△拝廊南側の扉のティンパヌム(扉上の半円部分)に描かれたモザイク画....「聖母子に献上する皇帝」で、玉座に座る聖母マリアと膝の上にイエス・キリストの姿

 

★皇帝専用の入口から内陣に入ると、上から大きな釣り灯籠のような灯りがたくさん吊り下げられていて幻想的な雰囲気を醸し出している。巨大なドーム天井を見上げると、美しい装飾がほどこされた天井の底辺円周部に並ぶ窓から光が差し込んでいて堂内を優しく照らしている。後陣側の上回廊の壁には ”カリグラフィー” と呼ばれる巨大円盤が数基の掲げられているが、アラビア文字でイスラム教の指導者の名前と言行が示されているらしい。特に後陣アプスに設けられた聖地メッカのカーバ神殿の方向を示す ”ミフラーブ” を挟んだ上回廊に掲げられている ”カリグラフィー” には、右に全知全能の唯一神のアッラー、左にイスラム教の創唱者で預言者のムハンマドの名前が記されているそうだ。


△皇帝専用の入り口(大理石の扉)から覗いた大聖堂内....大理石の扉の高さは7m

△アヤソフィア大聖堂は内陣(本堂)と後陣で構成....内陣に吊り下がった灯は幻想的な雰囲気を醸し出している

△直径41mの巨大ドームの天井....6世紀、10世紀、14世紀に崩落したが、6世紀設計のまま再建された....金色に輝くモザイクが荘厳な雰囲気を演出している

△後陣のあるミフラーブを挟んで上回廊に掲げられている ”カリグラフィー” には右のアッラー、左に預言者ムハンマドの名前が書かれている....後陣のドームに聖母子が描かれている

△上回廊の壁にはモザイク画が多数残る....偶像崇拝禁止のイスラム教によりモザイク画が500年間漆喰で塗りつぶされていた

△上回廊の掲げられた8つの巨大な円盤 ”カリグラフィー” には、アラビア文字でイスラム教の指導者(アッラー、ムハンマド、4人のカリフなど)の名前や言行が書かれている

△正面アプスに向かって左側上回廊に掲げられた巨大円盤 ”カリグラフィー”

 

 


 

【鎌倉創建の足利学校…日本最古の学校で、フランシスコ・ザビエルにより「日本で最大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介された】

【栃木県・足利市】数年前の10月末、「日本最古の学校」といわれる学問所・足利学校跡を訪問したが、その時、ちょうど書院で ”曝書” (ばくしょ)が行われていた。所蔵されている貴重な書物などを ”虫干し” させる行事で、江戸時代から行われているそうだ。ちなみに足利学校の創建には諸説あるが、最も有力な説は鎌倉時代初期に足利宗家2代当主・足利義兼によるそうな。
 

★ ”曝書” は庠主(校長)の書斎だった書院で行われていて、その様子を地元のテレビ局が撮影していた。入室やフラッシュ撮影が禁止なので、開いている襖障子から二人の女性の ”曝書” 作業をしばし眺めた。テレビ局のカメラマンも室外から撮影していた。

敷地内には大正四年(1915)に建てられた遺蹟図書館があって館内を拝観したが、足利学校伝来の貴重な多くの書籍などが保存されているので、虫干し作業にはかなりの時間を要するのだろうな~と想像しながら帰路に。

△庫裡の後方に建つ書院で行われていた ”曝書” ....書院は庠主(校長)の書斎で、接客や学生への個人授業が行われていた建物

△ ”曝書実施中” の案内板(ピンボケ!)....「秋の気候のよい時期を選んで貴重な書物を虫干しする」とある

△書院造りの特徴として違い棚、床の間そして菱格子欄間を配した付書院がある

△虫干し中の貴重な書物

 

△訪問時、ちょうど地元TV局が曝書の様子を撮影/最初は榑縁の縁側がある畳の廊下からの撮影

 

△庫裡と書院の間の通路からの撮影      曝書の風景