どうも週末は夜中に遊んでしまいがちなので

(毎日、遊んでいるといえば遊んでるが

なんの氣兼ねもなく嬉々として起きているが

そろそろ寝なくては!と

6時半頃、寝始め

3時間近く眠ってから

よろよろと、10時開始のダンス教室に行く。

 

ノリで通い始めたクラスだが、しばらく続いている。

昼夜逆転も直してみたいし

ずいぶん長い間、ベッドの上だけで過ごしていたから

筋力の低下がすさまじかった。

ずっと外界に出ていなかったので、

少し、外の風に当たって日の光を浴びるとくらくらする。

自転車になら乗れるものの、歩くとなるとオランダ製のウォーキングシューズが重い。

これはいけない!と、自分の好きなものなら

動きだせるかもしれない、と微かな期待を胸に

駅ビルのカルチャースクールの門をたたいてみた。

 

この指導してくださる先生が、誠に素晴らしい!

誰にでも開放している大人のための初心者クラスなのだが、まるでダンサー志望の小学生のためのダンススタジオのように、一切の妥協がない。

体の隅々まで意識させ、どのように動いていくのかを

時にはホワイトボードに骨格まで描いてくれて

解剖学の知識をまじえて解説してくださる。

頭の位置、指先、視線、ある筋肉への集中など

瞬間的にブレを指摘して是正してくださる。

こんな指導を毎回受けていれば、誰でもある程度は

踊れるようになってしまうだろう。

 

ところが、こちらは半ば呆けが始まってるような老人で、記憶もところどころ欠けている。

長い間寝ていたためか、体はロボットのように固まっている。ダンサーになりたい!なんて意欲のかけらも無い。

 

そんなやる氣のない生徒を前にしても、まったく変わらず、毎回全力で、どのように動くのか、どこを意識するのか、どうしたら上手く体重移動ができるのかを、的確に指導してくださる。

情報が多過ぎても、こちらは咀嚼できないし、少な過ぎても伝わらない。絶妙な指示で、集中できるように助言の言葉が飛んでくる。

 

そんなこんなで、たったの1時間のクラスが終わると、頭も体もビッショリ汗をかいている。

 

昨日も、やる氣のなさ75%くらいの体力で参加した。

(先生、ごめんなさい)

ウォーミングアップが始まる。

床の上で前屈をしようと思うのだが、直角のまま、前に倒れない。

やれやれ、という感じで、次の指示に従う(振りをする)。

 

それが、

何故か、

続けているうちに、体は温まってきて、脳の回路も繋がってくる。

付くはずのなかった指先が、前の床に触れていく。

 

指導の応援の声とともに、体が前に倒れていく。

ちょっとした補助と同時に、開いた両脚が後方に回っていく。

 

巧みなリードに促されて、ギクシャクした老人の体が小学生バレリーナのように動いていく。

 

喜びのアドレナリンがドバッと流れ出して、睡氣は吹っ飛び、頭が妙にはっきりとしてくる。

 

次の指示がどんどん飛んでくる。

両手両足を突っ張って、ブリッジをしなくてはならない。

こんな重力に逆らった苦行を、何故⁈いい歳の女がしなくてはならないのか?

悪態を心の中で吐きながら、早くこの時間が過ぎ去れ!と死に物狂いで両手を押す。

肘を伸ばせ!と檄が飛んでくる。

意識をとぎらせるな、地面を見ろ!と叫ばれる。

ウエストに手を触れられたら、

あれっ?

両足で床に立っていた。

「やれば出来るジャン!」

と、東京育ちの先生に静岡弁で褒められる。

 

このように、毎回、熱いパッションと怒濤のようなアドバイスでいつの間にか動ける体に改良されていく。

歳をとってからでも、体って変わっていくのだなぁ。

 

このままレッスンを続けていけば、また20代の時のような、どこまでも足は高く上がり、音と一体になって踊っているような、めくるめくような快感に身を委ねることができるかもしれない、と妄想してみる。

(ゾーンにはいった快感を、何故か社会心理学を聴講している教室で反芻していたことを思い出した。自分の周りの空氣が金色の輝く粒のように見えて、時間が止まったような感触だった。これが至高体験なのかな、とその時おもった。)

 

駄文を連ねてしまったが、

もし縁あって、ここまで読んでしまった方がいらっしゃったら、月2回のレッスンを体験しに来てみたら?

 

次回は、しっかり寝てから参加しろ、自分。