林業という仕事がら木を見て歩くのが好きで、特に高樹齢のスギ林とか今は松食い虫のせいで少なくなってしまったが松の老木、あまり下草のない歩きやすい50年を越えた様な雑木林などなど、一本一本の値踏みなどしながら、その樹が持つ雰囲気を味わい、時にその木肌をなでてみたりする。


部落の裏山に館山と呼ばれる場所があるのだが、それは戦国の昔、佐竹氏の出城があったための呼称で大人になってからそのことを知った。

私の子供時代、その館山はおおむねが田畑と雑木林だった。


雑木林ではカブトムシやオニムシを捕まえたり、秋に栗拾いをしたりアケビをとったり、冬にユリ根を掘ったりとたくさんの遊びを提供してくれた。


田畑にも楽しいことはたくさんあって、山の中とて耕耘機すら入る余地のない田は、今の時代注目を集める千枚田のようなまったくの人力で作り上げた田んぼで、その一番上部に田の水源になる清水が湧いていて、そこに生息するアカハライモリも子供の私の親しい友達だった。


畑の一部には紙漉の原料になるコウゾが植えてありマヒワを捕る為の鳥モチを巻き付けるのに具合が良かった。またその反り具合がちょうど刀のそれに似ていてチャンバラごっこには欠かせないものだった。


田がつきるスギ林の谷間には山城があったせいで移植されたと思われる矢のための篠竹が一叢生えていて、これは水鉄砲や笛や時に釣り竿になった。


黄色いクマイチゴを手のひら一杯にのせ一度に口に放り込んで食べる楽しみ、雪の積もった山道を自作の橇ですべる楽しさ、戦争ごっこ、炭焼きごっこ、そんな楽しさに満ちた場所が館山だった。


先日、伐採の依頼があり、数十年ぶりにその館山を歩いてみると、田も畑も雑木林も全てが薄暗い手入れの行き届かぬ杉の林に変わっていて、アカハライモリの住んでいた小さな泉も形をなくし、ただジメジメとした泥地になっていた。

どこを眺めても私を楽しませてくれる樹はなく、思い出に満ちた地形だけが判別できるのだった。