町には魚屋もあったけれど、よく移動販売の魚屋が来た。

大音量で都はるみの演歌など流しながらやって来て、トラックを止めると、早口で

「じいちゃんばあちゃんとうちゃんかあちゃんおじょうちゃん、活きのいい魚だよ、さあ買った買ったあ」

とまあえらく賑やかにやったりする。

スピーカーで到着を知らせる以前は鐘でも鳴らしたのか「チリンコ屋」と呼ばれていた。


今は衛生法で禁じられていると聞いたが、カツオの刺身などもトラックのうしろなどでつくっていた。

出刃包丁でカツオが解体され刺身になってゆく様をを見ているのが好きで、学校の図工の時間に粘土細工をやると、よく粘土の魚をつくりそれを鉛筆削り用のナイフで刺身にして遊んでいた。


その頃、サンマは安い時代でバケツに一杯、みたいな買い方をしていた。

そのサンマをどうしたかと言うと、頭を落とし身をふたつに切り分けて炭火で焼く。

じゃんじゃん焼いて醤油を入れた大きな瓶に、ポチャン!ジュ!ポチャン!ジュ!と放り込んでゆく。

七輪では間に合わなくて、ご飯を炊くための蒸しかまどに大きな金網をのせて焼いていた。


こうして保存食になったサンマはご飯のオカズや酒の肴、時にはお茶うけに出され、当時は美味いと思って食べたけれど、昔を懐かしんで、今それをやってみると、ひどくしょっぱくて食べられない。

昔の食事の塩分量がいかに多かったかがよくわかる。