テレビが我が家に来たのは割と早い時期だった。
福島の田舎ゆえか民放が視聴できるようになったのはずっと後のことで、当初はNHKしか映らなかった。
確か午後は放送がお休みで午後5時あたりから番組が始まった。
5時半からの番組だったように記憶しているのが「宇宙船エリカ号」とかいう番組を楽しみにしていた。
明らかに糸でつるした宇宙船が花火の火花を吹きながらヨタヨタと飛んでいた。
このころの番組で記憶に残っている部分が、自分でも不思議と少ないのだけれど、「チロリン村とクルミの木」という[宇宙船エリカ号」の後継番組と思われる人形劇はよく見ていた覚えがある。
腹減らしのクマが「ペコポ~ン!」と言うのが楽しかった。
その声優が十朱幸代のお父さんの益田喜頓だったと記憶している。
「バス通り裏」という庶民的なドラマが夕方の7時からの放送だったけれど、あの番組に十朱幸代が出ていたらしい。子供には面白さが分からなかったが親が熱心で、毎日退屈にながめていた。
毎日ではなかったが7時半から始まる番組のテーマ音楽が不気味でいつも耳をふさいだいた。
西洋ノコギリを弓でひいていたような音楽だった。番組名は覚えていない。
子供は8時に就寝する家だったので、午後8時以降の番組はまったく記憶にない。
夜になると隣近所からひとが集まり、テレビに近い者は座り、後ろの方は立って見ていた。
相撲が始まると、ひとりの無愛想な年寄りが午後4時あたりから6時までテレビの前にドッカリと座り、それが15日間続くものだから、さすがの母もグチをこぼすのだった。