その次の日からも、はやりまだ目を開けるのが辛くて殆ど目をつぶって過ごす。表情を変える余裕も無かった。面会に来てもらって気持ちは嬉しくても顔は嬉しそうな顔にならない。ニコッてする余力が無い感じ。
頭はいつでも結構痛かった気がする。
術後2日目、午後に、髄液を抜く為に腰椎ドレナージュ(って言うんだったっけかな??)の管を腰から入れられることになった。手術時からの点滴の針がもう使わないものから抜かれ始めてきたと思ったらまた新たな管が増えた。点滴と、導尿と、腰の管と、心電図と、酸素濃度計と、色々付いている。鼻に酸素を入れる管もある。
私は絶飲食の状態で食事が無い為、みんなには運ばれて来る3度の食事が来ない。看護師さんが点滴を替えたり腰の管から出てきている液とかを確認しに来るけど、動けない、やれる事ない、目は開けない、引き続き窒息しそうで怖くて眠れない、週末はリハビリの方々はお休みで人もあまり来ないから人と喋る機会も少ない、で、ICUの時から引き続いて長い長い一日を過ごす。
毎日午前中に下を洗って新しい紙オムツに交換してくれるのだが、そしてそれは私にとっては恥ずかしいので嬉しい時間ではないのだが、ただひたすら目をつぶって横になっているだけの中では、次第に下を洗われる事すら楽しみなイベントに感じられてきた(苦笑)。
誰かが来てくれるって嬉しい。
人が側に居てくれるって嬉しい。
身体がしんどくて不安もある時だから尚更だね…
腰に管を入れてベッド上安静生活になって3日目、=術後4日目、排便の耻辱記念日となった!
手術当日の朝以来お通じがないからということで、座薬を入れられた。私はベッドから動けないがお腹が痛くなってきた
。看護師さんに言うとベッド上でお尻の下に差し込み便器を入れられた。「はい、どうぞ。ここでしていいですよ。」って言われても、初体験の私はやはり抵抗がある。看護師さんは当然のように「じゃあ終わったらまた呼んで下さいね〜」と言って去って行くが、私は一人葛藤した。こんな事したくない、でも下って来てる、出さない訳にもいかない、でもでもでも、うわ~、出した後は便を見られてお尻も拭いてもらうことになるんだよね?、そんな恥ずかしい事を〜!?、嫌だ〜、無理〜、でも〜![]()
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葛藤の末、結局少しだけ出て(看護師さんの話では便というより座薬の薬が溶けたやつが出てきたって感じだったらしい
)、その後はやはりお尻を拭かれて紙オムツを元に戻された。なんて恥ずかしい、屈辱。でもこの日、座薬の効果はこれでは終わらず、3回この差し込み便器を体験することに
。その度に便を確認されお尻を拭いてもらい、ものすごく恥ずかしさと屈辱を感じる日となりました。
尿に関しては手術中から導尿の管が入っているので尿意も感じることなく勝手に出ていってるのですが、便に関してはそうはいかないので仕方のない事ですよね。でもやはりできれば避けたい事ですね。導尿でいつでもベッドの脇に自分の尿が溜まっていて回収されていくっていうのも恥ずかしいけど、排便はその比ではないです……![]()
だけど、入院中で、しかも私は全く動いてはいけない状態の為、全てを看護師さんにやってもらうしかなく、看護師さんもこんな事までしなきゃないなんて大変なお仕事だな、と思いつつ、下のことも含めとにかく全ての事をやってもらう毎日。全部を人に頼まなくてはいけない。こんな事、生まれたばっかりの赤ちゃんの時以来だろう。
これはきっと今は恥を捨てる修行中、
遠慮しないで人の力を借りる修行中、
我慢しないで人に頼る修行中、
人の好意に甘える修行中、
罪悪感を持たずに助けてもらう修行中、
などと思いながら過ごした。
「これは一体何の修行なんだろう?
私は今何の修行中なんだろうか?
◯◯の修行かな?□□の修行かな?
修行はいつかは終わる。
この修行を終えたら一つ上に行ける。」
と思えば、大変な時も少しは前向きに明るく楽しくいられるかもしれない。
ただただ痛い、辛い、なんで私がこんなことに……?、私だけなんで?、運命呪ってやる、とか思って過ごしていたら本当に常に真っ暗闇の中で悲惨な気持ちで辛さ倍増だけど、今何か分からないけど何か私に必要な修行をしているんだと思えば、きっとこの先この体験が役立つ事があるから今この時間を過ごしているんだ、修行を積んで得を積んでその先には人間として向上するんだと思えば、状況は変わらなくても、少なくとも真っ暗闇の住人にならなくて済む。そんな気がする。