流産した後、気になって仕方なかったことを書くのを忘れました
とにかく空っぽのお腹が辛くてまたお腹にあの子をなんとか宿せないかと考えていました
妊娠したかったのです、すぐにでも。

少しでも参考になれば・・・

私の場合、5月末に処置をして、退院して1週間後に検診に行きました
回復が順調だったようで、生理が1回来たらセックスも妊娠も大丈夫です、と言われました
処置後3週間弱は、出血がありました。

だいたい30日周期だった生理が流産後もその通りにきました。
おぉー ちゃんと来た と感動したのを覚えています
トイレで出血を見るたびに、あの子の一番近くにいた私の一部が出てきたんだなぁ・・・
ほんとうに空っぽになるんだ・・・なんて思ってしみじみ便器を眺めていました(笑)

生理がきたら教えてください、と旦那に言われていたので、生理きたよと伝えると
「はい。じゃあ、また頑張りましょう」と言っていました。
そうだ、ここからからだ、と思ったのを覚えています。

もともと基礎体温がガタガタだったので、整えるべく体を温めたり、豆乳やらグレープフルーツジュースを飲んだり、いろいろ試しましたが、結局その周期はダメでしたー

自分の体はやっぱりダメな体なんだ なんて思って泣いたりもしました。

が、その次の周期で赤ちゃんはまた来てくれました
基礎体温は無理につけず、測れるときに測って、妊娠のためだけに何かするっていうのもやめました。
旦那と二人の人生を楽しもう。
叶わないだろうけど思うのは自由だ!もう一度あの子を妊娠したい!と思ったり。
なぜか初産年齢へのこだわりがなくなったり、
アルバイトの面接を受けたり、気持ちが前向きになり始めていました。
あ、でも育てていたゴーヤが大きくなる前に熟しちゃって破裂するのをみていて
あーなんだか流産した私と似てるなーなんて考えて暗くなったりもしました
この周期も基礎体温がガタガタで、あー今回もダメかもなぁ なんて思っていたのですが、
なぜか妊娠できました

私はすぐに妊娠できたのでラッキーだったなぁと思います。
私は高温期が10~13日くらいで短めだったので、黄体ホルモンに異常があるのかも
と思っていましたが、医者は一度妊娠できたのだから大丈夫と言っていました。

ほんと、子供は授かりものだなぁと思います。

うちの姉はポンポンポンと3人”できちゃった”感じでしたが

今日で34週を迎えました
あと2週間で臨月です。予定日はさらに4週間後ですが
いまだに、私は本当に出産できるんだろうかという気持ちです
が、お腹の子を信じて、無事の誕生を待とうと思います


妊娠できる人が増えて、流産が減りますように・・・
5月31日のことを書いたらちょっと満足してしまい、その後のことを書くのに時間が空いてしまいました

妊娠4ヶ月を超えての流産は普通のお産と同じように産後休暇が取れるので、
MAXの8週間休んで、退職しました。
旦那が不定休で休みが合わないのはイヤだったし・・・

今の仕事(IT系の会社の経理のバイト)を始めるまでの約2ヶ月、廃人のように暮らしました
妊婦さんを見るのも、赤ちゃんを見るのもつらい。
家と実家の間に、水子地蔵を祭っている神社(お寺?)があって、
「生まれる前に流れた」って書いてあって、その文字を見るたびに涙がにじんだ。
私は何のために生きているのだろう。
自分には生きている価値がないんじゃないか。とか考えたり。
でも、こんなこと考えるなんて亡くなった赤ちゃんに申し訳ないとも思ったり。

流産の本を図書館で借りたり、ネットで買ったりして、
かさぶたを自分でほじくりかえすようなこともした。

私より少し早く妊娠して無事に出産した友人が手紙をくれたのだけど、
その手紙に傷ついたり。
なんていうか、母になった喜びが感じられる手紙で、読んでて辛かった。

友達の妊娠報告も辛かった。
久しぶりに大勢で集まった場でのことだった。
私の流産のことを知らなかったのだろうけど、妊娠の経過が順調なことを当たり前のように
話す友人を見ていて、聞いていて、辛かった。泣きそうだった。家に帰りたかった。

でも、仕事を始めてからはだいぶ元気になったように思います
30までに子供を産みたいと思っていたけれど、そんなこだわりもなくなって
家族や友人以外の人たちと関わって、自分がしたことに「ありがとう」って言われたりして、
自分でお金を稼いで、少しずつ自信みたいなのを取り戻しました

でも、今月の初旬にあった両親学級で、病院内の見学をしたとき、
私がいた病室の前を通ったらいろんなことがよみがえって涙がにじんだ。
両親学級だったんだけど旦那は仕事で出られなかったので、20人弱いた妊婦の中で
一人で参加したのは私ひとりだったから余計に寂しかった
病院を出たら自然と涙が溢れて止まらなくて、人の目も気にせず泣きながら歩いて実家へ・・・
(病院と実家は歩いて15分くらいの距離)
実家に着く前には涙は止まりましたが

流産で受けたショックは、次の子を妊娠したからって癒えるものではないと、今は思います。
この子が無事に生まれたらまた考え方が変わるかもしれないけれど。
でも、流産から立ち直るのに妊娠は必要だと思います。

これだけ科学技術が発達して500gに満たない超未熟児も助かる可能性が出てきたのに、
流産は防げない。

すべての人に、女性だけじゃなく男性にも、
妊娠して無事に生まれてくることは当たり前ではないということを知ってほしいと思います。
あともうひとつ。
避妊しなければすぐに子供ができると思っている人が意外に多いけれど、
そうではないということも知ってほしい。
それから、特に男性に多いように思いますが、
「結婚してるの?」の次に「子供は?」と聞く人。
「早く作った方がいいよ~」とか「子供はいいよ~」って何の気なしに、悪気はないけど言う人。
流産して気が付いたけれど、とてもデリケートなことだと思うのです。
過剰反応と言われるかもしれないけれど

流産のことを考えるのは、これでおしまいにしようと思います。
これからは未来のことを考えようと思います

子供を望むすべてのひとのもとに赤ちゃんが来てくれますように・・・
9時半くらいだったろうか、ダイラパンを取り出して、子宮収縮剤を入れた。
30分経つか経たないかで、陣痛がやってきた。

痛い
とにかく痛い

旦那さんが手を握ってくれていた。
うぉーーーーー 痛いーーーー
手に力が入る
後日、旦那さんが、かなり手が痛かったから私の痛みが伝わったと言っていた

どれくらい続いただろう・・・
11時半くらいかな。
ちょっと痛みが引いて、やっと一息

今のうちにトイレに・・・と思い、用を足したあと
あれっ??何かが・・・
止めようと思っても止まらない。自然に下りてくる感じ?
と思ったら、バシャーーーーッ と「何か」が出てきた。
便器は真っ赤。
うわっ  トイレの中にあるナースコールを押す。
看護師さんは確認した後、はいじゃあベッドで横になって、とだけ。

流してしまった。

妙にすっきりしてベッドで横になると、医師が様子を見に来た。
トイレの件を話すと、「破水かも。処置室に行きましょう」と言われすぐに処置室へ。

あのトイレでの「バシャーッ」は破水だった。
子宮の中は空っぽだった。

いろんな人が入れ代わり立ち代わり処置室に入ってきて、
私の子宮の中を器具でカチャカチャと掻きまわしたり、おなかをギュウギュウ押した。
これがめっちゃくちゃ痛かった
陣痛より痛かった

私は、ボーっと、処置室の天井のマス目を見ていた。
なんだかおかしくて、半笑いだった。
マンガみたい、と思っていた。わーやっちゃった 赤ちゃんごめん  って感じで。

すべての処置が終わって、医師といっしょに病室にもどった。
お腹が痛くて歩くのがつらかった。

病室に戻ると、事態を察した旦那さんと母が、神妙な面持ちで待っていた。
後で聞いた話によると、私が処置室に行ってから、病室にドタバタと看護師さんが入ってきて
ちょっと騒然としていたらしい。
医師が一通り説明する。
赤ちゃんはトイレに流れてしまった、ということも。
旦那さんはそれを聞いて泣いていた。
私は、よっこらしょ、とベッドに横になって旦那さんの顔を見ていた。
「なんで笑ってんだよ」と旦那さんが泣き笑いで言ったのを聞いて、自分が笑っていたことを知った。
「えぇっ 笑ってる 」と言いながら、たぶん私は笑っていたような気がする。
その日の夜はやっぱり号泣した。すごく不思議なのだけど、なぜかそのときは悲しくなかった。
赤ちゃんが、とても明るく、笑顔で、「バイバーイまたねー 」って言っている気がして。

11時50分 死産

病院が業者を呼んで、トイレを解体しはじめ、赤ちゃんの捜索もした。
でも、見つからなかった。
見つからないだろうなと思っていた。

そのあとは旦那さんがいろいろ必要な手続きをしてくれた。
死産届もその日のうちに出してきてくれた。
妊娠4ヶ月以降の死産となると、火葬の必要があって、その届出も必要らしいけれど、
私たちは幸か不幸か、その必要がなかった。
役所の担当者は最初、事態が呑み込めなくて火葬の届出をするようにしきりに言ってきたらしい。
旦那さんが説明して納得してもらったみたい。
旦那さんには酷なことをさせてしまったなぁ・・・。

私に気づかれずに静かに息を引き取った赤ちゃん。
たった一度の収縮剤で、一度の陣痛で、するっと出てきて去ってしまった赤ちゃん。
抱っこすることも、顔を見ることもできなかった。
性別もわからなかったから、死産証書の欄には不詳の文字ばかり。
何も残さずいなくなってしまった赤ちゃん。
私の体への負担は最小限で済んだ。
親孝行な赤ちゃん。
その日の日記には、またすぐ来てくれる気がした、と書いてあった。
私が笑えたのは赤ちゃんからのプレゼントだ、とも書いてあった。
赤ちゃんは、小さな小さな命をかけて、いろいろなプレゼントをくれた気がする。