携帯の充電のようなエネルギーシステムで人は生きている。


その充電が、配偶者との生活であったり子どもの笑顔であったり、ペットとの触れ合いや食事やマッサージなどありとあらゆる様々なことで人は充電を繰り返して生きている。

その代表が睡眠で、寝ている時に霊界への里帰りをして魂のエネルギーチャージをしてたりする。


でもどれだけ睡眠がとれていたって風邪はひくし、病気にもなる。

バイオリズムってものがある。

どれだけ寝ても疲れが取れなかったりするのもそれ。

厳密に言うと、バイオリズムだけではなく、気付かねばならない在り方の癖や、在り方の偏りによる病気などもある。

ここに「これ」と取り出して書けるほど単純ではない。

天命による寿命や課題もあるだろうから。


しかしながらそうしたバイオリズム以外の要因でもエネルギーは簡単に枯渇する。


人間関係だ。


傍目からみてわかりやすく攻撃されるなどのことはさておき、陰湿ないじめやモラハラなどの精神的攻撃を受け続けることでチャージができないどころか、魂の球がすりガラスのように濁っていく。


攻撃をしてくる人は選んでる。

選んで攻撃をしていることを知っておくべきだ。

そして「攻撃をされている」と認識しながら、

実のところは「攻撃している側」であることもままある。


いずれにしても、他人のことで頭の中が埋め尽くされていたらエネルギーは枯渇する。


エネルギーが枯渇した時に、失った分のエネルギーを無意識に他から充填しようとする。

吸い取ろうなんて意図はなくてもね。


中には充填するために攻撃する人もいる。


とにかく水が上から下に流れるようにエネルギーを奪い合うことが起きる。


親が子どもの生きるエネルギーを「あなたのため」とかって掃除機みたいに吸ってるのなんてあるある。

で、エネルギーが枯渇して動けなくなってる子どもにあれこれと世話焼いて、トドメのバキュームしてる親は多いよ。


「子どもが学校に行かないんです」って

あなたがエネルギー全部吸い取ってますやんて話。


枯渇したエネルギーは自分で充填しないとね。

自分を楽しませ、自分で解決する。

他者からのエネルギー泥棒をさせない、されても自家発電的に自分で充填できりゃ大した問題ではない。


大切なことは、枯渇したエネルギーを他から補給しなきゃならないっていう思い込み。

それが自己で完結するようにそもそも人は作られてる。


それができると思い出すために私がいる。

枯渇したあなたの心がそのことを思い出しますように。



是が非でも被害者になろうとする人がいる。


被害者になる、という決着しかできない人、とも言う。


怖がりなんだな。


自分に非を見るのが怖いんだよ。


巧妙なロジックを使って、自分に非があることすら無くしてしまえる。


誰かの被害者でいれば、自分を悪くないと思いこんでいられるからね。


でも同じことが起こるよ。


人を変え、出来事を変え、何度も何度も同じことが起きるよ。


ブロックしようが、被害者だ!と訴えて仲間を集めようが、


同じことが起きる。


気付かなきゃならないことからは逃げられないからね。


私が悪かったと頭を下げられるチャンスと命が明日あるかどうかわからないのだから、

もらえた命、ちゃんと使いたいわね。


被害者になろうとしてた、ってわかる自分でいたいわね。






誰かを憧れてしまう人がいる。


誰かになりたい人、とも言う。


そういう人は、誰かに好かれたい人。


一目置かれる人になりたい人。


一心不乱に、誰かに憧れる生き方を

上にオーダーしているから、

それが叶っている。


誰かに憧れ続けることが叶ってることには気付かないまま。


「あの人みたいになりたいです」


という、部分、点の願いは大抵叶わない。


叶うのは


「誰かを凄い人だと憧れ続ける」

という生き方のオーダーが通って


誰かに憧れる在り方が引き寄せる現実を生きる。


結果、憧れる立ち位置は強固になる。


この意味がわかる人から

オーダーが変わるシステム。






神様って、大きな視点や大きな寛容な心で導き恩恵を受けられる存在だって思ってるでしょう?

だからお賽銭入れて、願い事をするでしょう?


多分それは、人間側の価値観でそう判断しているのだけど、神様の価値観と人間の価値観はそれこそそのまま天と地の差があるって知ってる?


神様には好き嫌いがあって、

嫌いな人は神社に寄せ付けなかったりする。

排他的なんだ。


好きな人に対しては物凄く贔屓もする。

どのぐらいの贔屓かというと、その人の願いを叶えるためになんでもしちゃうぐらい。


例えば、それはほんの些細な願いだったとする。

単に◯◯がこうなりますように、程度の。

しかしながら神さまの視点ではその願いを叶えるために川を氾濫させて多くの命をあっさりと奪ったりもする。


価値観が人間と違うの。

私たちがアリの生活を見てるようなことと似ていて、

それぞれのアリの人生をどうこう考えたりしないよね。

それと似ている。


特に龍神さまね。


だからね、闇雲にお願いするだけで叶えてもらえるほど簡単なシステムではない。


その願いを叶えるために取り組んでいること、

その願いを叶えたい理由、

そんなその人本人の動機やスタンスが必須。

そのうえで、神さまの好き嫌いがあるからね。


まずは住所と名前を告げ、誰かを明確にしご挨拶をする。

これが大事なんだ。


だって知らない人から突然お願いされるの人間同士でも嫌じゃない?


だから私は常に、誰かを明確にし、ご挨拶をしてから取り組んでいることをお伝えする。


お願いをしないスタンス。


だけど神さまはいつも現れてくれる。

なんなら来るよう催促もされる。


いざの時には竜巻の如く事態が急転するけれど、恐々ながら流れに乗るようにしている。


部分を見るな

大局的に見よ


という声が聞こえたから記しておく。


神さまに好かれようとする意図など見抜かれる。

そんな小手先の工夫には目もくれず、自分の人生の時間にかかりきりになられますように。




思い返せば、あれが宇宙銀行っていう現象なんだろうなと思う出来事が私には2度ある。


詳細を書けばどこかには書いた記憶があるので多少のフェイクを入れるが、私はなかなかにハードモードの家庭に育った。


そうした家庭で育つことは認知の歪みを受け継ぐということと等しい。


私は渇望した。

愛のある家族ってものに。


愛が何かもわからないくせに。


ただのんびりと大きく伸びができる、そんな穏やかさをこころから求めたんだ。


だけど蓋を開けたら暴力に次ぐ暴力。

私は育った環境と同じか、それ以上に酷い家庭を作り出すことになった。


逃げ場は無かった。

親もまた同じだったから。


避妊はされたことなく、拒否しようものなら暴力でねじ伏せられただ犯され続けた。

そして次々に子どもを生んだ。

更に逃げられなくなった。


もう何もかもが嫌だった。

ここで死ぬのか?

こんな人生で?

あれほど熱望した穏やかな家庭を子どもに体験もさせてやれないまま、ただこうして朽ちていくのか?


同じ死ぬなら笑って死にたい。

人生で一度ぐらい、そう願ってもいいじゃないか。


そんなことすらも叶えられない世界から逃げたい、そう強く願ったが私には金が無かった。

逃げようにも金が無いのだ。


生きるために逃げるのか、

逃げるために死ぬのかわからなくなった時、

とある知り合いから連絡が入った。


知人から渡したいものがある、と言われた。


札束だった。


返せないからいらないと言ったが、怒られた。

これはあげるの、返してなどいらないから幸せになりなさいと言われた。


私は泣いた。

号泣して受け取った。

そして命からがら逃げた。


私と子どもが今こうして生きていられるのは、あの知人のおかげだ。


そんな私は自分の能力をいつも無視してきた。

だってそんな能力が何の役にも立たなかったから。


だけど今、やはりこの能力を使う時がきたと感じている。


そんな真氣の記憶に付き合ってくれてありがとう。