メリークリスマス!ジンジャーブレッドマン

Amebaブログなんて、何ヶ月ぶりかに開きました(おい)。


ついでに題名を変えてみました。

もう、探究も旅もせず現実逃避に勤しんでおります。





が。





働けっつーことでね。

ブログなんて書く気しなかったし今もそんなにないけど、

冬至までにカルマについて書きなさい!

という指令を受けたので、

私の解釈ベースで書いてみます。


て言って、つらつら書いてみたら、

もっとわかりやすく!簡単に!

というダメ出しをくらったので書き直しましたネガティブ




ネガティブネガティブネガティブネガティブ




因果応報の法則、つまりは、自分のした言動(=自分の発したエネルギー)は自分に返ってくる。という法則性が、この宇宙には存在しています。


この法則性のことを地球では「カルマ」と呼んでいたりするのですね(※調べればいくらでも出てくるので詳しく知りたい人は調べてください)。



この法則は、今生だけでなく、過去に転生してきた人生の分も魂の中に全て記憶されていて、

その中から、今回の人生に重要そうなもの、体験したいもの、学びたいものなどなどなど、

を決めた上で、学ぶ相手と落ち合う約束をして生まれてくる、といった感じです。

(注:約束をしていても必ず出会うというわけではない)



支配する側とされる側、

教える側(先生)と教わる側(弟子)、

とかはよくあるパターンですね。


この人とはなんか、何回調整してもモヤるんだよなーって時は大体カルマ解消の相手だったりします(さやか調べ)。


私は修行をすることは辞めたので、修行したいならどうぞご勝手に。とか、

なんの得にもならない不毛な争いはもうやめましょう。

みたいな感じで、自分の中で答えが出れば勝手に解消されます。

綺麗な答えでなくてOKです。

今までずっと正しいと握りしめていたことを、本当にそうなのか?と、見直すタイミングでもありますね。



で、なんでこんな話をすることになったの?と聞いてみたところ、

どうやらこれからの流れとして、


全体が強調される時代が来るから

自分という個をしっかりと発揮できるように。


ということらしいです。

(ちょっと上手く言語化出来なかったので、いい感じに訳してください)




ここで大前提としてあるのが、

自己受容が出来ていること。

だそうです。


自己受容(=個としての成長)が、カルマでの学びの予習になる。

これが出来ないまま進むとね、醜い自分の内側と対峙したときに自己批判が起きるからね。


なので、どんな自分も認める。

誰かを許せない自分を認める。

失敗ばかりで上達しない自分を認める。

まずはそこから。

ついでに言うと、他人に認められたいってのは自分で認められないからそれを他人にやってもらおうって魂胆なわけで、自分で認められるようにならんといつまで経っても解決はしない。



かく言う私も、

自分を構成している感情は100%自己批判と自己嫌悪、ぐらいの勢いだったので、まだ志半ばです。

スタートがマイナスのさらにマイナスだったので、ここまでこれたのも感無量。

人によっては、私みたいに人生のテーマが自己受容の人もいらっしゃるでしょうから、そこは焦らず進むしかないよねぇ。


まー、完全に自己受容できてなきゃならん!とかいうことでもないので、自分の満足するほどほどにしておくのがいいのではないでしょうか。

私は突き詰めるタイプなので突き詰めますが(そして飽きる)。




さて、書きたいことは書けたようなので、今日はこの辺で!