お母さんは死んだんだと思って生きてきた。
その事で、心の全てが哀しいに覆われてしまいそうになるのを、無理矢理よそへと追い遣るよう努めてきた。
小さかった和也。
兄である自分が守ってやるんだと歯を食いしばってきた。
それから…
それから、家には新しいお母さんがやってきて…
智くんが…
そして…
…
頭が混乱してどうしようもない。
座っている自分の膝に、ポタポタと何かが落ちていた。
<ごめんなさい。驚かせてしまったわね…。>
横山さんの…
いや、お母さんの本当に申し訳なさそうな声が聞こえてくる。
お母さんの声…
どうして、俺はそれに気が付かなかったんだろう…?
間違いなくお母さんの声だった。
そうだと分かった途端に聞き心地のよくなった声に、だが、以前は嫌悪感に似たものすら感じていた。
何かにつけいらだちを覚えたのは似ていたからだ。
今、改めてその事を自覚できた。
そっと情けなく涙を流す自分の顔を上げ、横にいる人を見やる。
儚く笑う顔は、間違いなくその人のモノだった。
間違いなく…
「本当に……お母さんなのか…。」
<そうよ。>
「はっ…。」
嬉しいに違いないのに、声が詰まって言葉にならなかった。
命を狙われているとか、それにしてもなぜ今なのかとか、納得できないモヤモヤはあったが、それ以上に信じられない奇跡が起こったことに感謝する。
「お母…さん。」
<はいっ…。>
「お母さんっ。」
<うん。>
「うっ…ぐじゅ…。」
俺はまるで小さな子どものように涙を流すのを、やめることが出来なくなっていた。
そして、それは母も同じようだった。
震える俺の肩を抱きしめてくる彼女の体も、漏れ出る声も、何もかもが俺と同じように震えていた。
◇
気分が落ち着いた頃を見計らったように食事が運ばれてきたが、とても喉を通る心境にはなれないでいた。
お腹はすいていたが、気持ちが邪魔をしている様だった。
泣きすぎて瞼が重い。
落ち着いてきたころ、俺はようやく自分が親父を追いかけてきた理由を思い出していた。
だが、その話を、実の母の前で智くんの話を持ち出すことは、何となく憚れた。
母はむかし、その事実に激怒したはずだ。
ずっと分からなかった事故の直前の母の行動が、今やっと理解できた。
生きていたのに、もしかしたら父が結婚してしまっていて、頼れなくなったのかもしれない。
再婚の事で怒ったかも…
両親の過去の熱愛ぶりを思い出す。
今の二人の雰囲気もなかなか良さそうだった。
やっぱり話は後日改めよう。
<翔…?>
「え…?」
<食べないの…?>
「ああ…ちょっと胸がいっぱいで…。」
<それでも食べれるときに食べておいた方がいいわ。>
そう言いながら、母の前に置かれた料理も減っていなかった。
「母さんこそ…。」
<私は、食べられると思ったんだけど、今、ちょっと無理なの…。>
そう言って何やら恥ずかしそうに頬を染める。
息子との再会に胸がいっぱいで喉を通らないという事だろうか…?
だが、なんだかそんな様子は母には似合わない気がした。
母には何があろうと食欲は別と言ったイメージが俺にはあった。
そんな彼女が食事がダメだったのは一度だけだ。
確か…
『好きな和食なら大丈夫かと思ったんだがな…
食べられないなら無理はしなくていい。』
<ごめんなさい。>
父が優しく声をかけると、母は申し訳なさそうにそう謝っていた。