チェンマイでナチュラルライフ! -2ページ目

チェンマイでナチュラルライフ!

タイ北部、チェンマイでインド人夫と娘との暮らしや日々思うことを綴ります



満月は人の心身にいろいろ影響を与えるというのは、狼男や交通事故の多発などでよく聞く話である。特に女性は月経が月の満ち欠けと関係あるとか、満月の夜に産気づくという実例も多い。

わたしは以前は月のことなどほとんど気にしなかったが、娘の出産の時に陣痛が始まったのは満月の次の日だった。そして最近は満月の日と生理の始まりがぴったり重なるようになった。排卵期のあたりで体調がすぐれないと思うとちょうど新月だったりする。

タイなどの熱帯雨林地帯では一日のうちに天気がめまぐるしく変わることはよくあるのだが、空が暗くて今にも降り出しそうな時はわたしも何もやる気がしなくてどこか悪いのかと思うくらい身体が動かないが、雲が晴れてさわやかな風がふくと途端に気持ちがすかっとしててきぱき掃除をはじめたりする。

また森など自然の中を歩いていると、暑い日でもほとんど水を飲まずに疲れ知らずでいられるのだが、ショッピングモールなど閉鎖的で人が多い空間にいると、やたらと口が渇き、息苦しくなって身体がけだるくなる。もともと敏感体質なわたしだが、環境によって心身が左右されるというのは、何か病気のようなものなのかと一時期不安になっていた。


けれども、わたしという人間も自然の一部なのだから影響を受けるのは当然なのだ。それがきちんとわかってから、だいぶ気持ちが楽になった。タイでは自然の力が強いので、おのずと人間の方が自然環境にある程度合わせなければならないことが多いように思う。

雨の降り方が激しくて傘を差して歩くなんて無理で、日中日が照ると今度は歩いてちょっとそこまで、という距離でもバテててしまう。だから空を見ながらその日の予定はざっくばらんに立てて、仕事も無理せずゆっくりやり、夕方は外で夕涼み。のんびりしていいなあと思われるだろうが、熱帯の気候の下では東京のサラリーマンのようにしゃかしゃかは働けない。そういう自然環境なのだから、人間の生活も自然とそうなる。

日本の都会で育ち暮らしていたわたしは、ずいぶん自然から遠ざかったものの見方や考え方をしていて、それがいろいろなストレスのもとになっていたと今では思える。物質や金で何でも自分の思い通りになり、自由気ままに生きていられるが、裏を返せば何でも自己中心の見方しかできなくて、自分だけで生きているような気になる。それは途方もない孤独感を助長させる結果になっていた。


タイで暮らしていて変わったのは、その孤独感が自然によって癒され、視野が自分や人間だけではなくて、植物や動物、木々や山へと広がっていくことで、もっと肩の力を抜いて生きていくことができるようになったことだ。朝夫と喧嘩をして最悪の気分になっても、散歩に出かけて自然の中を歩き、お寺でお参りして好きな花々を見て、市場で新鮮な野菜を買って帰ると、もう喧嘩したことは忘れてしまっているくらいに気分がすっきりしている。そうやって、周りの自然環境に助けられていることを感じると、孤独やさびしさを感じなくなる。

人は人とだけではなく、その他のいろいろな生き物と関わっていて、実際にとてもいい交流ができるのだ。ただ月の影響を受けているのではなく、月とわたしの子宮が交流して、友だちのように同調しているのかもしれない。そんなことを考えながら満月を眺める夜は楽しい。