続・私が初めてフラワーエッセンスを使った時の・・・ | フラワーエッセンスセラピストのひとりごと

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スピリチュアルやフラワーエッセンスなど、思いつくままに載せていきます♪

「私が初めてフラワーエッセンスを使った時の・・・」の続きです。

 

 

夫と喧嘩をしたあと

年末を迎え

新年が明け

2日目の初夢の日。

 

起きる直前に

「ほだら」

という言葉が出てきました。

 

「ほだら」という聞き覚えの無い言葉に

インターネットで調べてみると

 

補陀落渡海(ふだらくとかい)

 

という言葉が出てきました。

 

色々調べてみると

南の海の彼方にある極楽浄土に

船で到着するのが目的で船出しますが、

極楽浄土に生きながら行くことは出来ないので、

実際には渡海船が海に沈んで亡くなることを前提として

出口の無い船で船出する修行の一種の事でした。

 

またしても

なんだか分からない言葉に不思議な思いをしましたが

後に理由が分かるだろうと

言葉だけ覚えておくことにしました。

 

そしてその年の夏

突然、転勤の話しが出て

家族で岐阜県から石川県に引っ越しします。

 

元々希望を出していたわけでも無く

夫にしてみれば想定外の

また全く希望では無い転勤に

 

夫は仕事を辞めると怒り狂い

またしても家族に対して

厳しくなるのですが

 

まだ次男の体調が優れなかったため

怒る夫を説得して

転勤を受け入れてもらい

なんとか引っ越しをしました。

 

引っ越してからすぐ

ハウスダストアレルギーのある次男は喘息が酷くなり

新しい場所でも病院通いが始まりましたが

 

以前、岐阜県で通っていた病院には通えないので

また新しくステロイドを使用しない皮膚科を

探さなければいけません。

 

次男はそれまでも毎年

夏になると少し肌の状態が良くなっていましたが

 

引っ越しがあった夏の間に

少し綺麗になった肌は

冬に寒くなるとまたズルズルになり

 

しばらく皮膚科に通っていなかったこともあり

また酷い状態になってしまい

外出もままならない生活になりました。

 

インターネットで色々調べて

やっとステロイドを使わない病院を見つけましたが

 

その病院は

自宅から車で片道1時間以上もかかる所にある

産婦人科でした。

 

現在は、先生が高齢のため

もう病院は閉院してしまったと

数年前に友人から聞きましたが

 

とても変わった診察をする病院で

漢方薬をメインに処方してくれる病院でした。

 

次男を診察した先生は

「腸が冷えてます。」

と言い

腸を温める漢方薬を処方してくれました。

 

それから3~4ヶ月後

季節が春から夏に変わる頃

暖かくなってきたせいか

顔が段々と綺麗になり

 

更に病院で指導された方法を色々試していったら
 
今までに無いほど顔の皮膚が綺麗になり
アトピーとは分からないほど
体中の皮膚が綺麗になりました。
 
それまでは
喘息で通っていた小児科の先生に
ステロイドを使用したくないと伝えると
嫌な顔をされ
嫌みを言われていましたが
 
急に皮膚が綺麗になった
次男の顔を見た小児科の先生に
 
ステロイドを使わないで綺麗になった
と伝えると
とても驚いていました。
 
その後
更に秋から冬に季節が移り変わっても
以前のようにズルズルの皮膚になる事は無く
 
現在も綺麗な状態を保っています。
 
 
変わった診察をする病院に通い出した
その翌年の11月。
 
近所の神社の前を通ると
七五三の看板が出ており
 
そういえば次男は七五三をむかえる時期だったな
と気がつきます。
 
数日後のお天気の良い日に
初めて行くその神社に
七五三の予約をしに行こうと
 
神社の入り口の駐車場に車を止めると
丁度よく
神主さんが階段を降りてきました。
 
私が七五三の予約をしたいと伝えると
「じゃぁ早速!」と言われ
 
え?予約いらないの??
 
と戸惑っている私を
 
あれよあれよという間に神社の受付に案内し
申込みの手続きを終え
待合室で待つように言われてしまいました。
 
思っていたより奥の広い神社で
私の前を歩いていた次男が
さっさと奥まで走って行くので
 
慌ててついて行くと
 
奥の広い待合室の中に
大きな船の模型がありました。
 
その神社は住吉神社だったので
大きな船の模型があったようですが
 
私はその大きな船の模型を見た瞬間に
「ほだら」
という言葉を思い出しました。
 
喘息やアレルギーで体調の優れない次男が
無事に三歳の七五三のお祝いをすることが出来るようになったことは
 
自分自身にとって
ある意味、人生の大きな節目であり
 
それまでの人生は
苦行のようなものだったのだと思いました。
 
 
 
次男が生まれる前から私は体調が優れず
切迫流産で生まれるまで
ほぼ寝たきりで
 
生まれてからは
アレルギーと湿疹が酷く
 
健診や病院で
嫌みや虐待を疑われるような事を言われ
何度も嫌な思いをし
 
外出先では
怖いと言って泣かれたり
酷い顔だと陰口を言われたり
とびひか水疱瘡を疑われ
そんな子供を連れ歩くなと怒鳴られたり
 
夜中に咳や発熱で
何度も救急外来に行き
半年に2回も入院し
 
家族を顧みず自分を優先させ
気に入らないことがあれば
怒鳴り、長男を叩き
訳の分からない理屈を並べ立てる
夫と
 
まだ私に甘えていたい長男の世話もしつつ
 
毎晩よく眠れない次男の相手をして
寝不足で体がフラフラで
 
めまいの病気になった私。
 
その大きな船の模型を見た時
 
そんな苦行が終わった。
というお知らせだと思いました。
 
本当は家族でしようと思っていた七五三のお祝いを
私は次男と2人で済ませ
 
私は
これで良かったんだと思いました。
 
そして
苦行をしなければいけなくなった土台を作ったのは
私だと思いました。
 
生まれてくる赤ちゃんの事を考えず
ストレスで体に悪い物を食べ
次男のアレルギーとアトピーの土台を作ってしまったのは私。
 
家族を顧みないような夫にしたのは
夫を甘やかした私。
 
切迫流産になるほど辛かったのに
辛くなる前に我慢せず
ハッキリと言いたいことを言えなかったのは私。
 
長くて辛い時期でしたが
フラワーエッセンスは
それまでの私自身を省みる出来事を与えてくれ

多分、岐阜県にそのままいたら
いつまでも治らなかったであろう湿疹を

石川県の変わった診察をする病院に転院することで
治してしまいました。

そして
それまでの苦行のような生活も
石川県に引っ越すことでリセットされ

忙しい夫が不在の間
長男と次男と
生活を楽しむ余裕もできました。

初めてフラワーエッセンスを使った時に
こんな大きな出来事があったので
今でも
フラワーエッセンスが大好きで
ずっと飲み続けています。
 
そして、これからもクローバー

さて、
七五三を無事にすませた後
また転勤の辞令がでた私たち家族は
岐阜県に戻ることになります。

転地療養という目的を終えたから
戻ることになったんだなぁと思いました。

その後、岐阜県に戻った私は
フラワーエッセンスの勉強を始めますが

岐阜県に戻る前に不思議な夢を見ました。

その話しは
また別の機会にお話ししたいと思います。


本日も
長い文章を最後まで読んで頂き
ありがとうございました。