はじめまして。

今、出来ることの筆者の夫です。

妻は入院中の3月9日夕方、旅立ちました。

ブログの投稿は入院5日目の3月5日が最後になりましたが、いつもブログを読んでくださった方々の為にも、続きを私が少しだけ書き足したいと思います。入院初日は3月1日でしたが、妻の容態は日に日に悪くなっていくように見えました。面会で会うたびに、ひと回りずつ小さくなっていくように感じました。5日の最後の投稿以降は特に体調が悪くなっていき、私とのラインでのやり取りも誤字や脱字が目立つようになりました。主治医の先生が、私に現在の病状とこれからの事について、話しをしておきたいという事で3月7日にお会いしました。妻と私、先生と看護師さん、そしてソーシャルワーカーさんの5人で病棟の処置室に入り、先生がCTやレントゲンの写真、検査結果を見せながら、妻の現状と病院としては全てやり尽くした事を説明し、3年間よくがんばってきましたねと、妻にねぎらいの言葉をかけました。車イスに座って先生の話しを黙って聞いている妻の顔を見ると、目には涙を浮かべ、とても悲しそうというか、世の中の全てから見放されてしまったように感じているような表情でした。妻のあんな表情を見たのは、長い結婚生活の中でも初めてであり、最後でもありました。先生が妻に向かって、残された正確な時間を知りたいですか?と聞くと、妻は大きな声で、言わないでください!と、泣きながら言いました。私は妻の隣にいるのにもかかわらず、声をかける事もできず、手を握ってあげることすらできなくて、最低の夫でした。そのあと、先生とソーシャルワーカーさんは、私に緩和ケア病棟への入院説明をしたいという理由をつけて、看護師さんが妻の車イスを押して入院部屋へ連れて行ってくれました。処置室の扉が閉まった瞬間、先生が私に向かって、奥さんにはあと1ヶ月ぐらいしか時間がありませんと言い、あまりにも短すぎる時間を知った私は、自分の無力さを感じ、涙をこらえる事ができませんでした。この日の処置室での光景は、この先も忘れる事はないと思います。

私たちには社会人2年目の息子がおりますが、仕事の関係で遠く離れた場所で生活をしています。3月8日に息子が初めて面会に来てくれました。妻は3年前の闘病生活が始まって以来、息子には弱っている自分を見せたくない、息子に心配をかけたくない、そんな想いから、息子の前では体調が悪い時でも元気を装っていることが多かったと思います。8日の面会で息子に会ったときも例外ではありませんでした。私は妻から、前日に先生から聞かされた内容を、息子には絶対に言わないようお願いされていましたが、残された時間もないので内緒で息子には伝えてありました。病院のルールで面会時間は15分に限られていたので、この日の面会では普段通りの会話しかなかったと思います。もちろん、前日の先生とのやり取りは、私たち3人の会話のなかで触れることはありませんでした。病室から帰る際、妻は私と息子に手を振って見送ってくれましたが、ちゃんとした会話ができたのが、最後になるとは夢にも思っていなかったので、もっと色んな話しをしておけばよかったと、今でも後悔しています。

日付が変わり9日の朝を迎えると、私の携帯が鳴りました。病院からの着信です。とても嫌な予感をしながら電話に出てみると、当直の先生からでした。奥さんが危ない状況なので、すぐに来れますか?と。1時間以内で到着できると伝えると、それまで命がもつかわからないと言っていたので、息子を起こして家を飛び出しました。電話の着信から30分後には到達していたと思います。ナースステーションに顔を出すと、例の処置室に案内されました。妻の姿がありましたが、とても苦しそうにしており、私が声をかけると、息ができないと小さな声で訴えていました。先ほどの当直の先生から、ナースステーションで妻の状況説明がありました。かなり危険な状況なので、万が一の時には心臓マッサージをしたうえ、人工呼吸器をつけるかどうか、蘇生処置をするかしないか?と、私に選択をするよう聞いてきました。妻は以前、管に繋がれて死ぬのは嫌だと言っていたこともあったし、人工呼吸器をつけた場合どういう事になるのか、先生からの説明を理解したうえで、蘇生処置をしない選択にサインをしました。妻の命に区切りをつけてしまったと思い、サインをする際、私は涙が溢れ出し、手が震えていました。しばらくすると個室の病室に移され、腫瘍内科の先生が来て、奥さんは今、水の中で息が出来ず苦しんでいるのと同じ状態なので、この先会話が出来づらい状況になりますが、苦しさから緩和される点滴しますがよろしいですか?と。妻には少しでも楽になってほしかったので、会話が出来なくなるのは残念ですがお願いしました。点滴が効いてきたのか、妻の表情が穏やかになり、心拍などのモニター数値も安定してきて安心しました。ただ、眠っているような状態なので、会話は出来なくなりました。そばにいた看護師さんが、奥様は耳は聞こえているし、手を握るとわかるんですよと、教えてくれました。妻は足の裏を揉んでもらうのが好きだったので、一生懸命に足の裏を揉みました。妻は我に返ったかのように、酸素チューブや耳につけてあるセンサーを外そうとし、ベッドから立ち上がりたいのか、起こして!と、訴えることが何度かありました。やはり家に帰りたかったんだと思います。大丈夫!もうすぐ帰れるよ!と、妻に言うと安心したかのような表情になってくれました。夕方になり看護師さんが、奥様と一緒の病室に泊まりますか?と提案してくださったので、私と息子のベッドを手配してくれる事になりました。妻の状態が安定していたこともあり、息子に一旦帰宅させて、着替えなどの泊まる準備をするようお願いしました。息子が病室から出ていってしばらくすると、モニターに映っている心拍数が下がり始めてきました。直後、病室に先生が飛び込んできて、すぐに息子さんを呼び戻して!と。私は息子に電話をしましたが、あまりにもモニターの色んな数値が下がっていくのが早すぎて、私は涙が溢れ出てきました。妻の手を強く握りながら、死んじゃダメだ!と、何度も何度も叫びましたが、妻は私を見つめながら両目から涙を流し、私に最期の言葉を伝えた瞬間、静かに息を引き取りました。結局、息子は間に合いませんでしたが、この日私と息子は仕事が休みで、3人で一緒に過ごす時間ができたし、最期を息子には見せなかったので、妻らしい旅立ちだったと、今ではそう思えます。妻が言った最期の言葉ですが、私たち3人だけの秘密にさせてください。

今までブログを通して妻に元気をくださったり、温かいコメントを送っていただいた方々、妻に代わり厚く御礼を申し上げます。どうか、皆様のご回復を心よりお祈りしております。

ありがとうございました。



自宅近くの江川せせらぎ緑道です。

今年も桜が満開になりました。

昨年は3人で桜を見に行きましたが、今年は1人で見に行くことになってしまいました。来年も桜が咲いたら、妻を想いながら訪れたいと思います。