いわゆる“歴史上の偉人”と呼ばれる人の霊に遭遇した
はじめて(にしてたぶん最後)の経験のお話です。
2006年の7月頃、私は愛知県に住んでいまして、
とある子ども向けの学習教材をつくる仕事をしていました。
愛知県の伝統工芸品の取材や愛知県出身の戦国武将などの紹介をするため、
慣れない一眼レフカメラを持って、社用車を運転して(本気で命がけだった)、
愛知県内を右へ左へ取材してまわっていたのです。
ある日、伝統工芸品の「有松絞り」の取材を終えて、
さあ会社に戻ろうと地図を広げたときに(カーナビはついていなかったんです涙)、
「桶狭間古戦場伝説地」という文字が目に飛び込んできました。
「桶狭間の戦い」といえば、
織田信長が、駿河国及び遠江国の守護大名・今川義元を討ち取ったという
あの有名な歴史の舞台であることは、さすがに知っています。
そのときは伝統工芸品の取材をしていましたが、
その翌週あたりから戦国武将に関する取材もしていく予定でしたので、
その「桶狭間古戦場伝説地」もいずれ取材に行かなければならない場所でした。
ということは、すぐに会社に戻るのではなく、
近くのこの公園に立ち寄って取材を済ませてしまえば、
少しでも運転する時間を減らせる! ということです。
本当に運転するのが嫌だったので、
今日もう少しだけがんばれば、後日の運転の負担を減らせるのは魅力です。
迷わず目的地をそちらに変え、車を走らせました。
「桶狭間古戦場伝説地」には、15分くらいで着きました。
愛知県豊明市の公式ページで紹介されているので、リンクを貼っておきます。
https://www.city.toyoake.lg.jp/2001.htm
このページをみると、かなりスッキリしてきれいな感じがするのですが、
当時は木々が鬱蒼としていて、もっと暗い感じでした。
史蹟に着いたとき、時刻は16時ちょっと前。
ちょうど小雨が降っていて、日は暮れていないけれど、
どんよりとした重い空気が漂っていました。
中では私のほかに2、3人、犬の散歩らしき人がいるくらいで、
ものすごく寂しい雰囲気です。
とはいえこちらは仕事なので、そこはあまり気になりません。
私のミッションは、かろうじて日の光が残っている間に、
史蹟のそれっぽい写真を撮ることなのですから。
ちょうど折よく小雨がやんだので、
すぐさま車を降り、一眼レフをかまえて、公園に向かいました。
(余談ですが、公園の駐車場はなかったので近くの学校のようなところの駐車場に
許可をいただいてとめさせてもらいました)
入り口のところに、
「史蹟桶狭間古戦場」と彫られた石碑(石柱?)がありましたので、
まずはそれを何枚か撮影し、エリアの奥へ。
そこで私が目をひかれたのが、
「今川治部大輔義元墓」という石碑でした。
詳しくは上記のホームページに説明があるのですが、
要は、「今川義元のお墓の一つ」です。
今川義元ってたくさんお墓があるんですよね。
というか、「桶狭間の戦い」の舞台って、実ははっきりと確定してはいないみたいで、
この史蹟以外にも、たくさん似たような史蹟やら公園やらがあるんです。
そして、そこにはたいてい、今川義元のお墓もある。
しかも、上記のホームページによると、
この石碑(墓碑)は、最初から墓碑としてつくられたものではなく、
お墓と間違えて手を合わせる人が多かったから、
改めて整えてお墓にしちゃった…みたいなものらしいです。
とはいえ、この史蹟内で一番目立っているように感じたので、
私はこれの写真を撮ることにしました。
デジタル一眼を構えて、まずはパチリ。
そして、撮ったデータを確認するため、カメラの画面をのぞき、
思わず息をのみました。
そこには5~10個のオーブがものすごくはっきり写っています。
あちゃ~、と思い、改めてカメラを向けて、パチリ。
……はい、またばっちり写っています。
カメラやレンズを確認してみますが、
濡れたりしている感じもなく、曇ってもおらず……。
困りました。
何度撮ってもオーブが写りこんでしまいます。
オーブをあとで加工で消してしまおうかとも思いましたが、
できればアップで見たりしたくない。
消すのもなんか怖い。
日はどんどん傾いてきて、暗く重い空気が漂ってきました。
さっきまでいた散歩の人も、気づくといなくなっていました。
ヤバいかも……。
ようやくそう気づくと同時に、ある考えが頭をよぎりました。
「勝手に写真撮られたら、私も嫌だよね。
ましてや被写体になっている人が、大切な人なら腹立つわ」
そこで私は、その墓碑に思い切って話しかけました。
周囲に人もいないので、声に出して言いました。
この墓碑の写真を撮らせていただきたいこと。
この写真は、この地域の子どもたちに土地の歴史を伝える目的があること(学習教材なので)。
ついては、オーブが写ってしまわないようにご配慮いただきたいこと。
これらを、簡単に伝え、頭を下げました。
そのとき、誰かが許可を与えてくれたような
そんな気配をはっきり感じました。
撮った写真には、もうオーブは写っていません。
しかも、なぜか少しだけ、先ほど撮った写真よりも
墓碑が明るく写っているようにすら感じました。
ほっと胸をなでおろし、改めてお礼を申し上げ、墓碑に頭を下げました。
そして車に戻り、岐路に着いたのです。
その墓碑にいらっしゃったのがどなたなのかまでは、わかりません。
でも私は、きっと今川義元さんとその部下の方々だったんじゃないかな、と
感覚的に思っています。
今川義元さんを死してなお守っていた部下の方々が、
私のカメラを向けるという無礼な振る舞いから、
今川義元さんを守ろうとしていたように思うのです。