『夢を乗せた空飛ぶ旅』

『夢を乗せた空飛ぶ旅』

不妊治療から稽留流産まで。

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自分なりにやっとひと区切りを迎えることができました。
それまで投稿するまいと思っていたブログをやっと書くことができます。



11月19日、稽留流産の診断を受けてからずっと自然排出のため待機を頑張ってきましたが、
12月21日、ようやく手術必要なしとの診断となりました。



これまでの流れは以下の通りです。

11月19日 8週目で稽留流産の診断。クリニックでは「1週間ほどで自然排出されるから様子を見て来て」と言われる

11月27日 体調変化なく、クリニック受診。内診で所見変化なし。どうするかと言われ、吸引法で手術できる病院に紹介状を書いてもらう

同日、総合病院受診。
先生が手術を推奨せず、なるべく待ったほうがいいと話され、一旦様子見することに。

11月30日 12日ぶりに仕事復帰。それまで体調に変化はありませんでしたが、とても誰かと話せる精神状態ではなかったので休んでいました。

12月1日 茶色っぽい水みたいなものが出始める(いわゆる茶おり)

12月2日 腹痛が始まり、痛みで仕事ができる状態ではなかったので昼過ぎに早退

12月4日 日中腹痛あり、この日から茶おりが血に変わる。22時前から40分程度、激しめの生理痛〜数秒間息が止まるほどの激痛に襲われる。波がほぼなく常にピークで疲労困憊。痛みを紛らわすために呻く

12月7日 血の塊がドバドバ出ている状態で再受診。
(どれくらいの出血かというと、20分ほど前にトイレに行った状態で内診台に上がろうとするとナプキンがすでに真っ赤で交換が必要だった)
この日までに自然排出されてなければ手術の説明のため家族を連れてくるよう言われていたので旦那同伴。
胎嚢が排出されかけでいびつに歪んでいた。
手術するかどうするか問われたが、このままならもう数日だろうと言われ待機を選択

この日起こったことはまた別の機会に記します。もう二度とあんな体験はしたくない。
この日から再度1週間休みとテレワークを繰り返す。

12月8日 4日より少しだけましな程度の激しい痛み。ロキソニンが効かない。

12月9日 昼過ぎにロキソニン効かない痛み。1時間程度でおさまる

12月12日 昼シュラスコへ。血っぽいステーキを見て気分が悪くなりまったく食べられず。相変わらずロキソニンは効かない。夕方ごろまで波のある鈍痛が続く

12月14日 再受診。内診で、胎嚢のかすみのようなものが見えるため完全流産と判定できず。血液検査へ。HCGの値が900でやはり完全流産といえない。もう1週間待って、血液検査の結果が変わらなければ手術することに
この頃出血は止まり茶おりに戻っている

12月16日 12月4日以来の出社

12月21日 再受診。血液検査でHCGが400となり、内診しなくてもこれなら手術しなくて良いと言えると。25までは市販の妊娠検査薬で陽性になってしまうので、妊娠していないと言える正常な値になるまでは通院することに。


以上、稽留流産の診断から自然排出でした。

自然排出のブログを読むと、『激痛がピタッと止まったときにナプキンに《いた》』という体験談をよく見かけます。が、私の場合は血の塊をどれだけなぞっても丸いものは見当たらず、(先生曰く)原型を留めていなかったから知らないうちに出てしまったんだろうということでした。



たいてい2週間ほどで自然排出が終わるところ、1ヶ月もかけてやっと安心をくれたこの子。
ママともっと一緒に過ごしたくてお腹にしがみついていたんだなと思います。
年中地蔵(テーマパークでショー等を待つために数時間座って待ってること)をしている私によく似ていて、
のんびり屋な旦那にもよく似ていました。
まさか流産で親子の繋がりを感じると思っていませんでした。

最終的に手術しなくて良くなったのも、この子が守ってくれたからだと思います。先生の「来週ダメなら手術」という言葉を聞いて慌てて旅立ったのでしょう。
(手術は不育症や感染症のリスクが無いとは言い切れません。リスクヘッジのため自然排出を選択しました)


正直、流産して生きる希望を失って生きる意味がわからなくなって、何度も死にたいと思ったけれど
この子が助けてくれた命を懸命に生きなければと今は思います。





病院から帰って空を見上げたとき、

私の妊娠が終わった。

ぼんやりそう思いました。

私はママになったんだ。天使ママになったんだ。

これからは親として頑張っていかなきゃな。



空音、私をママにしてくれてありがとう。
私を選んでくれてありがとう。
一緒にいられたのはたった1ヶ月だけど本当に幸せで、あなたがくれたもののほうが多い。
お空から見守っていてね。
これからはずっと一緒だよ。

「守るものがあると人は強くなる」
誰しも一度は聞いたことがあるでしょう。

だけどこの命を失って気付きました。

人は、守るものがないほうが強い。


守るものがあれば、それを失う恐怖や失ってしまったときの喪失感と戦わねばなりません。

一方守るものがなければ、立ち上がるかどうかは自分だけに委ねられる。
自分の意思が他者によって左右されない。



だから私が強くなれるのはこれから。


6年前に世界で1番大切なものを失ったとき、
もう失ってしまった自分にはできないことなんてないんだ、これ以上悪いことなんてないんだと思うようになりました。
あの8ヶ月があったから今の自分があると信じています。

今もきっと同じ。

もう失くすものなんてない。





とは言うものの、私たちオタクは趣味のために命をかけている生き物なので、守らないものをつくらないなど不可能な話かもしれませんね…。

治療を始めた前回のお話のつづきです。

 

6月にプラノバールの投薬を開始。

7月に卵が育っているかを確認しましたが、残念ながら育っていませんでした。

 

学生時代にも無排卵月経の診断を受けたことがありましたが、

ずっと無排卵だったのか今回だけ無排卵だったのかはわかりません。

 

 

 

2020年6月といえば、

緊急事態宣言こそ解除されたものの、世間はコロナ真っ只中。

アウトドアの趣味が多い私は屋外に出ることすらはばかられる世の中で、無意識にストレスを溜めていたのかもしれません。

 

コロナによって妊娠を控える人、不妊治療を中断する人も多いと聞きます。

私たちは治療を続けることにしましたが、そんな話を聞くだけでやるせない気持ちになります。

妊娠は、時間の制約があるものだからです。

 

 

7月に入り、2周期目のプラノバール投薬が始まりました。

今回はそれに加えてクロミッド、いわゆる排卵誘発剤の投薬もあります。

 

このプラノバールという薬が私にはあまり合わず…。

通常の副作用は吐き気等で次第に慣れてくるということでしたが

私はそれに加えて酷い肌荒れが起こっていました。

当初はマスクのしすぎによる肌荒れだと思い皮膚科に行きましたが、もらった薬を飲んでも塗っても治らず。

何気なく医療関係の友人に話したところ、プラノバールの影響の可能性があることがわかりました。

(ホルモン剤なので個人差が大きいかもしれません)

 

 

 

治療に関してかなりネガティブになっていた私は、クロミッドを飲んでも状況は良くならないだろうなあと考えていました。

人工授精や体外受精について調べ始めたのもこのころです。