自分らしさについてよく考えます。
皆が皆自分らしく生きて、言いたいように言っていたら社会は成り立たないなぁと思っています。少なからずその一言が相手の受け取り方によっては凶器にもなるんだよと。
言葉は一度出してしまえば戻すことも出来ません。確実に相手に何らかの影響を与える。それがプラスなのかマイナスなのかそれは人それぞれです。
だから毎回思うんですよね。自分の発言には最後まで責任をもてと。それが匿名性のあるネットなら尚更です。
私は何度もネットでの人間関係で悩んできました。顔が見えないぶん付き合いもゼロ距離になりやすい。パーソナルスペースを意識しづらいなと。踏み越えやすいんです、気軽なぶん。ここまでにして、それ以上はツライの。顔を見て声を聴いて話すのとは全く情報量が違うので図り兼ねづらいのは確かです。
だからこそ人間関係を築くのは難しいんだ、楽な人なんていないとも思います。
私は誰も傷つけずに生きてこれたとは思ってないです。私も少なからず心当たりはあります。
だから昨日の一言がどれだけ相手を不快に傷つけたかもしれない。いい意味には捉えられてないかもしれない。必ずマイナス要因も考えてしまいます。
生きづらいです。でも生きるってそういうことだとも思っています。だから辛くなったら辛いって、楽しかったら楽しいってそのままの感情を受け入れてとことんそれに浸ります。
辛いときは浸るぶんどん底まで落とします。その後また歩き出せばいいやとも思ってます。
そうは思っても言いたいこと言えないです。醜い部分には目を向けたくない時もあります。それ全部を好きになれったって難しいんです。
言葉の持つ力がどれ程に大きいか、発信する側だからこそ考えています。
きっとこの文読んで不快に思う人たくさんいると思うんですよね。それはそれ、その人の考え方だからそれでいいです。万人受けなんて誰もできないし、私自身昔はそれをしなきゃと無理なことをしてました。
到底無理なのに。
ここに行き着くまで多々ありましたけどそれはそれで糧にしてます。
自分らしく生きるには責任と覚悟を持つ、そして如何に自分が生きることが楽になる考え方ができるか。それで大きく世界はかわりました。
私は女の子好きです。世の中でいえばイレギュラーだとも思います。でも、好きになった子がたまたま女の子だっただけ。よく聞くんですけど、的を得ているなと。
好きが必ず受け入れてもらえるなんて思ってません。これが例え男の人であったとしても。考え方の違う人間が違う人間を好きになる。それだけですごい労力と時間を使うものです。反発とか摩擦とかいろいろ起こります。そんなこと繰り返して疲れては復活して。それで相手を知って嫌いになるか好きになるか。
感情なんて複雑怪奇。自分ですらわからないものです。少なからず私は自分の感情についていけてない人です。だから怒るし泣くし笑うし。傷つけたくはないけど、私の考え方もあるから。発言には責任は持ちます。でも言いたいこともたまには言いたいです。誰彼構わず突っぱねるんじゃなく、先ずは話してみたいです。それから合う合わない決めていきます。
私は究極の負の感情はなんとも思わないだと思ってます。なんにも感じないどうでもいい。まぁ関心がないのと同じですよね。人間だから感情を持って生きていたい。その人のこと嫌いなら嫌いでいい、好きなら好きでいい。ただ直接その人に嫌いだ好きだと思うままに告げるのは良くないですけど。
嫌いだと感じたら心の中で嫌いだなと思います。裏表あると思われてもそれが人間だから仕方ない。あえて口に出さずに思う事は自由です。
これが私の生きやすい考え方、自分らしく生きることです。
こんな人間もいるさ〜位に思ってもらえたら。
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