Carpe Diem~限られたものの中の大切なもの~ -3ページ目

-無があることに気付くために振り返るという事-

人の気持ちなんて本当にわからないものだな、
と日頃つくづく感じる。

これは決して周りに対する猜疑心や、
ひどく強い対人恐怖症があるということではなく、素直にそう感じる。

しかし不思議なもので、
「異性」もしくは「恋人の対象」にならない人という
フィルターをかけるやいなやこういった猜疑心や不信感を
一切持たずに、「純粋」な関係性を築けるのも事実かもしれない。

だからこそ、気付けば相手の関係性や距離をないがしろにし、
振り返るという習慣を持ち合わせていないようにふるまっている。

けれども、今一度ここで振り返る必要があるのかもしれない。
人の心(なんてもの)は、移ろいやすいのが前提だということ。
だからこそ、相手の意識に何か大きな見えない意思のようなものを
与える必要性が時に生じることもあれば、一方でそんなことをせずとも
相手がくっついたり、離れていったりすることはあるのだと思う。

となると、それは「神の意志」なのか?ということになるが、
私はそういったものを「神」という言葉に収斂してしまうことに
大きな疑問を感じることからここではそのような終わり方をしない。

今こそ、ここに「ない」ということが「ある」ことをしるための振り返りをしなくては。

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-気付けば、もうそこに-

自分自身ではない誰か、それが「他者」だとすれば、
他者を傷つけることはなんて簡単なことなのだろう、
いつもそう感じる。

私は17から20歳の間に、ニート、フリーター、社会人を転々とした。
その時も色々な形で「他者」を傷つけていたと今になってそう思う。

「他者」傷つけることはすべて自分の「妄想」から始まるんじゃないかと感じる。
妄想が自分を守ろうとする力と憎む力を生み出し、気付けば負のスパイラルに陥る。

そして、気付けばその渦から抜け出すことは難しくなる。
そもそもその渦に入っている自分に気付くことができないのだから。

私は今年で26歳を迎えようとしている。
時の流れがそうしたのか、人との出会いがそうさせたのかわからないけれども
負のスパイラルにはまることは極端に減った。

けれども、欲望が見え隠れする現象に対しては
未だ負のスパイラルに陥りやすい自分自身がいたりすることも確かだ。

そして、「気持ちを伝えることが優先だ」と考えてしまい
気付けば相手を傷つけてしまう場合が未だある。

なんて自己満足的かつナルシストなんだろうか、といつも自己嫌悪に陥る。

どこで誰を対象になにを伝えるのか。
本来もっと真摯に考えなければいけないことなんだろう。

まだ逃げている私がいるのは明らかだ。

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-瞳の奥に写るもの-

とにもかくにも、私は「瞳」が好きだ。
これは決して固有名詞を指しているわけではなく、
人間の目という意味での「瞳」だ。

ある時アフリカを旅しているときに、
同行していたジャーナリストの友人がカメラのモニターを向けながら
私にこう言った。

「ほら見える?この子どもの写真を拡大して、この子の瞳をみると、
ほら!写真を撮っている人が写っているでしょ。」

彼に「瞳」に写る自分を探す行為を教えてもらって以来、
出会う人出会う人の瞳の奥を凝視してしまうようになった。

ところで、私にとって「大切な人」とは「恋人」や「家族」だけを指すのではなく、
それは「友人」や「交差した人」などを含む場合がある。

つい先日も「大切な人」とワインを飲みながら食事をしていると、
あまりにもその人の視線が強かったので、私も負けじとその人の「瞳」を凝視した。

凝視すればするほどお互いが恥ずかしくなり、
結果私はその人の「瞳」の奥に私を見つけることはできなかった。

目の前の「あなた」に「私」はどのように移っている、
否、写っているのだろうか。

そんなことを考えるように私の世界は再構築されたのかもしれない。

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