「お父さん」。 ずっとそう呼ばせていただいてました。
3日前に眠られたって聞いたから、僕は一目散に車に乗ってさ。お父さんの元に駆け付けたよ。
(二谷)友里恵ちゃんがいて、お孫さんたちもいらして、(友里恵さん夫でトライグループの)平田会長もいらして、
そして、僕の大好きなお母さん、白川由美さんがいらして、そこでお父さん、眠ってた。
本当に眠ってた。

お母さんが、「顔を見てあげて」っておっしゃってくれて、白い布をめくってお顔を拝見しました。
ほんとにきれいなお顔でした。鼻筋が凜として、あの時のまんま。
そう、お父さん、笑うとさ、目尻に2つのしわがよってさ。そのまんまだよ。
ヨーイ、スタート、って言ったら目を開けてくれるんじゃないかと僕は思ったよ。

そして、僕は手のひらをお父さんの額にのせた。冷たかった。だけどもその瞬間、二十数年前に(戻って)
スーッとお父さんの声が聞こえたよ。覚えてる? まだ駆け出しの20代の、ワンパク坊主の僕が、
二谷邸に招かれて、お父さん、僕に何て言ったか覚えてますか?

「君が長渕君か。面白い芝居をするね」

うれしかったです。
だって僕はあのころ、芝居の「し」の字も分かんなかったし、役者の「や」の字も分かんなかったんだから。
迷ってましたよ。そんな時に、二谷邸にお邪魔して、二谷英明がですよ、お父さんがですよ、そう言ってくれたんだから。
うれしかったです。

いや、その言葉がうれしかったんじゃなくてね、その時のね、お父さんのね、穏やかなね、優しい瞳と、優しい声のトーンがうれしかったんです。
そしてその次にお父さん、オレに何て言ったか覚えてますか?

「剛、ハラ減ってないか?」

「すいてます」

「何、食べたい?」

「はい。ごはんとおみそ汁と焼き魚を食べたいです」

そしたらまたニコッと笑って

「そんなんでいいの?」

「はい」

「食べてらっしゃい。たくさん食べるんだよ」
 
「はい、分かりました」

うれしかったです…。

「長渕君ね、おなかすいたらね、いつでも来ていいよ。朝でも昼でも夜でも、いつでもいいからいらっしゃい」

調子づいて、僕ね、朝ごはん何回も食べにいきましたね。おまけに昼ごはんもいただきました。
がっついて、ひもじいこの僕は、二谷邸でたくさんのごはんを食べさせていただいて、そうこうしてると二谷さん、お父さんが
2階からすっと下りてこられて、ネクタイをキュッキュッキュと締めながら、僕のそばにちょこちょこっと寄ってきて、ささやいてくれたんです。

「長渕君ね、そのまんま、懸命に、やっていったら絶対大丈夫だよ」

そう言ってまた、ニコッと笑ってくれました。ふるさとを離れて初めての東京じゃないですか。
家庭の味が恋しいし、不安で不安でいっぱいじゃないですか。どこの馬の骨とも分からない僕に目をかけていただいて、
二谷邸の優しき門を開けていただいて、たくさんの言葉とたくさんのごはんとたくさんの優しいまなざしを投げていただいて、
その時、僕に初めて、東京に「お父さん」と「お母さん」ができた、って。
そうやって今まで生きてます。

お父さん、人生ってもしかしたら僕らが考えてるよりも、短いのかもしれないね。
そして死っていうのは突然にやってきてさあ、そしてあっけなく終わってしまうのかもしれないね。

僕はね、お父さん、さっきからダンディーなお父さんの写真を見ながらずっと考えてた。
なぜ、僕たちは、大切な人が亡くなったらたくさんの涙を流すんだろうかって。
もちろん、亡くなってしまったことは悲しいけれど、それは、あの時のお父さんの笑み、あの時の優しいまなざし、
あの時の「おお食べなよ、たくさん食べなよ、懸命に生きてくれよ」、あの時の等身大の二谷英明、お父さんにもう2度と会えないから、
もう2度とあなたと会うことができないから、涙を流すんです。

だけど僕は、今日は泣きません。
なぜならば、生涯、俳優の現役を、最後の最後まで貫き通し、息をしてくれた、その生命力が、亡くなったことは悲しいけれど、
その死の力が僕の心に宿るからです。あの時の優しいお父さんがさ、これから先はずっと僕の心の中にともに生きることができるから、
だから僕は泣かない。

昭和の名優が、また1人亡くなってしまったけどさ、二谷邸でお邪魔した時に、耳元で、そう、お父さんの好きだった言葉、
「懸命に」、 その言葉を僕自身も胸に秘めて、これから先も懸命に、生きてまいります。

「上」に行ったらお父さん、友里恵ちゃんやお孫さんや、平田会長や、そして、誰よりも、白川由美さん、お母さんのことを守ってあげてくださいね。
本当に、若輩者のボクに、たくさん愛をありがとう。目をかけてくれてありがとう。
優しき門を開けてくれてありがとうございます。お世話になりました。