先週、妻のおじさんが死んだ。
で、長い闘病の結果なので悲しいというよりは寂しい。
その闘病から解放されたと思って喜んでいるという面もある。
私個人的には葬式ぐらいはいきたかったが、身内といっても本当に数人でおこなったようだ。
私の家(一族)では「人の生き死にが一番大事」と教わってきたので少し違和感がある。
どういう意味か?人は一人で生きてきたわけではないのです。だから、勝手に「死んだから葬式したわ」は違うのです。
でも、それは家、一族によって考え方はいろいろ。
私はそんな家に育っていない。何よりも自分と自分を大事に思ってくれている人、そして私のことを気にかけてくれている人のために生きていると思っているので、違うのです。
で、おじさんの家族が私への報告は1週間が過ぎた後だったのですが、亡くなるころに不思議なことがあったのを覚えています。
まさか、おじさんが死んだとは思っていなかった。
それはいつも絶対にみないような映画をその亡くなった日に観ていたのだ。それは亡くなった方が初七日、この世に戻ってきて、いろいろな気になることを見て回るというものだ。
そんな映画をどうしてかわからないのが、1週間前、亡くなるかどうか?というタイミングでみていたのだ。
きっと、おじさんが「もう亡くなったんだ。」と私たちに伝えにきたように思うのです。
残された家族が伝えなくても、おじさんはきっと私たちに伝えたかったのだろう。おじさんはそんな人だったのです。
だから、そう思うんです。
まあ、今日からも頑張って生きようと思う。
きっとおじさんはもう少しだけ生きたかったはずだから。私はすこし頑張って生きたい。
妻が泣いていたので、私は泣きません。でも本当は辛い。