私は昔、よく八方尾根に行っていた。それは20代の前半だ。
つまり、30年以上前だ。
そのころはまだ、バブルの余韻があった。
そして多くのペンションが立っていた。
そして、エコーランドはお洒落な街であった。そして多くの若者がいた。
今のエコーランド、みそらののペンションの一覧をみて、昔あったペンションがもうないんだ。と気づいた。
なんか寂しい感じに思った。
でも、当たり前なんですよね。だって30年前の話だから。
そんな街にもう一度行きたい。
それは昔の私の姿を探しにかもしれません。
八方尾根には今は亡き親友とも行った。
その記憶は消えない。本当に楽しかった。彼はいつもニコニコしていた。
今、いつでも彼の笑顔を思い出すことはできる。
八方尾根には多くの思い出がある。
そのころの笑顔が今の私にはあるのか?そのころの無邪気さや元気は私にあるのだろうか?
最近そう思う日が増えた。
多分当時の私は輝いていたのだろう。そして無邪気で元気だったのだろう。
大学の後輩と行って、雪の舞う夜中に鬼ごっこをした。
本当にあほです。でも、楽しかった。彼らは今どうしているのだろうか?
きっとその当時でも私たちは浮いていたのだろう。いくらバブルの余韻があるといってもね。
(今はリタイアしている友人が当時の私を羨ましく思っていたと言っていた。)
世の中の楽しいことをすべて経験したいと思ったし、今すべての楽しさを手に入れたいと思った。
お金の制約を可能な限りなくし、楽しんだつもりだ。
そんなことを経験するとサラリーマンとして生きていくにはよくないのかもしれません。
今、50を過ぎて思う。
これを青春というのかもしれません。昭和な東京、大都市部の苦学生とは真逆のものではあるが、同じ青春なんです。
恵まれていたと言えばそうだが、それだけではない。いろいろな思いと一緒に時間があった。
きっと、「その遊ぶお金は親が」と思うかもしれないが、私と行っていた後輩は誰一人そんな者はいなかった。
つまり、自分の稼いだお金で行っていた。そして私の親友もそうだ。
彼らの中から留年したものはいないし、成績が悪いものもいなかった。
その大学時代を一秒、一時間を駆け抜けていたのだ。
きっとあまり、理解はできないだろう。
話を戻そう。また、輝いている自分に戻れるだろうか?はっきり言えるのは頭だけがキラキラ輝いてはいることだ。
あの頃を同じような輝いた時間を50代、60代と過ごしたい。
今の若者、特に10代、20代の方には死ぬほど駆け抜けほしい。
いろいろなことをができるし、いろいろなことが経験できます。できないことの理由はいくらでも言えます。
ただ、かなえられることも無数にあります。間違った行いをせずに精一杯楽しんで欲しい。
ピンクオンピンクのポンチョって知っています?(白馬八方尾根)