「客観視」
という言葉がある。
皆さんも良く知る言葉だと思うが、
しかし、
これほど偏った、というより一方からしか使われない言葉も少ないのではないか。
一般的に、
「客観視して...」
という表現を使う場合、
「自らの自惚れを糺す」
という意味がかなり込められているように思う。
特に、企画やモノづくりに携わっている方には身近なことだと思うが、
"自分にとって良いもの=他人にとって良いもの=売れる"
とは限らない、ということだ。
それはそうなのだが、
その逆も同じくらいあるのではないか?
と思っている。
つまり、
"自分にとって良くないもの=他人にとって良くないもの=売れない"
ではなく、
"自分にとって良くないもの=だけど、他人には良いもの=売れる"
という場合も、充分存在し得るということだ。
本来、
「自己評価と市場価値の差」を埋めるため、その思い違いを糺す言葉として客観視は使われるのだが、
どうしても、前者での使われ方が多い気がする。
つまり、
「自らの自惚れを糺す」
という意味での使い方だ。
日本人は特に、自分や身内に必要以上に厳しい人が多い気がするし、
謙虚を通り越して、自己否定する人が一定数いる。
しかもその自己否定は、思い違いが殆どだ。
本来の市場価値より、自分は価値がないと思い込んでしまう。
一種の呪縛とも言えるのではないか。
その結果、
思い違いの自己否定
→
自己肯定感が下がる
→
行動量が減る
→
トライアンドエラーが減る
→
ブラッシュアップする機会が減る
→
パフォーマンスが下がる
→
現実的に実績が減る
→
リアルに市場価値が下がる
→
自己肯定感が下がる
という負のスパイラルが生まれる。
つまり、
「客観視して...」
は、本来この様な場面でも、もっと積極的に用いられるべき言葉なのだと考えている。
「自分が思ってる以上に市場価値がある」
「あなたを求めてる人が沢山いる」
私自身、自己肯定感が低いと感じる方にはその様にフォローすることがある。
悲しいことに今、ロシアとウクライナで大きな戦争が起こっている。
私の視点から見たらロシアによる一方的な侵略戦争だが、其々事情があるのは確かだろう。
彼の地では生きたいのに、生きることが出来ない人が沢山いる。
一方で、生きることが出来るのに、生きようとしない人が居るのも事実だ。
今朝も、とある大物芸人の訃報が世間を騒がした。
もちろん、真相は本人にしか分からないのだろうが、
もう少し自分自身を、客観視出来ていればこんなことにはならなかったのだと思わざるを得ない。
生きていても価値がない、自分がいると迷惑をかける、そう思う人も居るのかもしれないが、
殆どの場合、事実は真逆だ。
あなたが居ない方が方々に迷惑をかけるだろうし、生きている価値がない人など存在しない。
だからこそ、
申し訳ないが、同情はできない。
ただ、ご冥福をお祈りするのみ。
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