"祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。
 
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
 
奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
 
猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。"


有名な平家物語の一節です。

平忠盛公が武家として殿上人となり、その後棟梁を継いだ清盛公が築いた平家の栄華。

親子二代での成り上がりは斎藤道三公、織田信長公を連想させます。

信長公は平清盛公を大変尊敬しており、織田家も福井は剣神社に端を発していますが、資盛流平家を自称していました。

ちなみに平資盛は清盛公の孫であり、清盛公の後に棟梁を継いだ平重盛公の息子です。

大変頭が切れ、武人としての実力も申し分無かった清盛公ですが、禿による監視社会や、贅沢を極めた生活、そして大変傲慢な性格であったと云います。

その清盛公の驕りが"平家にあらずは人にあらず"という振る舞いを生み、平家一門の悲劇に繋がることになるのです。

清盛公の次に棟梁となったのは嫡子である平重盛公です。

重盛公は"平家の良心"と呼ばれるほどの人格者であり、武勇も大変優れていたため、一門はもちろん、市井の人々にも慕われていました。

重盛公は現世の罪禍を贖う気持ちを込めて灯籠を収集していたので親しみを込められ灯籠殿とも呼ばれていました。

重盛公の妹、つまり清盛公の娘である平徳子(後の建礼門院)は政略のため、後白河法皇の息子である高倉天皇に嫁ぎ、安徳天皇を産んでいます。

公家と武家の折衝に奔走し出家後も政治に口出しをする清盛公を諌めたりと何かと気苦労が多かった重盛公は42歳の若さで早世してしまいます。

重盛公が亡くなる前、熊野に参拝した話は平家物語の中でもとても感動的な場面ですね。

そして重盛公の死が、平家が滅亡へと加速する最大の引き金となりました。

歴史にタラレバは無用ですが、もし重盛公が長命であれば、以仁王の反乱に始まり壇ノ浦の合戦に終わる一連の戦も起こらなかったであろうと思います。

重盛公没後に棟梁を継いだのはその弟の宗盛でした。

平宗盛は子煩悩な一面もありましたが、清盛公の傲慢な性格をそのまま引き継ぎ、以仁王が源氏に平家討伐の勅使を出すきっかけを作りました。

平家は平重盛、知盛、重衡、教経など人格と武勇を兼ね備えた英雄を多く輩出しましたが、その一方で宗盛など暗君も生んでしまいました。

栄華から滅亡までの暗転は本当に些細なきっかけ、立ち振る舞い、言動が原因になっています。

歴史は未来学としてその顔を私たち現代人に見せてくれています。

優秀で力がありながらも滅びてしまった先人たちの姿に学び、コツコツと今を生きていきたいですね。

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