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自然をこよなく愛すキッズのブログです。

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私が緊張するとキュウと心臓が縮こまるのは、これ以上の症状が出ては困るという事と、無作為に引っ張り出した不安を足し算してしまうからです。一旦この落ち着かない気持ちを何処かへやらねば、自分の好物すら喉を通らなくなるのです。早く心の平穏を取り戻したくて、好きな歌を静かに歌ってみたり、創作物へ気を背けたりしますが、ひどい時は風土のせいにしたりもします。このところどうも気が重い、特に冬は気持ちが沈むものだ。日本の春夏秋冬には振り回されてばっかりだなぁ、と。ですが昔からこのように思い続けてきた訳ではありません。見られたくないモノを箪笥にしまいこみ、その上から服をギュウギュウに詰めすぎて、到頭、自分でもそれが何処にいったのかわからなくなってしまってからです。ですが、どうもこれは逆効果らしいのです。隠し続けているうちに、人の心まで勘ぐってしまうようになったのです。この人の大事なものはなんだろう、と。そうしていると幾分気が楽になったのです。いつしか悪い癖になってしまったようで、親しい友人と語っていても、家族と愚痴こぼしていても、それは頭にこびり付いて離れません。悩み相談を持ちかけられては、もういてもたってもいられません。ここぞとばかりに言葉の裏の裏をかき、本当はこう思っているんでしょう?実はもっと違うことを言いたいんでしょう?こういった具合です。そうです。こうして人の粗探しをしなくてはやっていけない私は、誰よりも自尊心が高かったのです。これではいかんと、私は一つの解決策を導き出しました。人と話しているときよりも、一人で黙々と趣味に勤しんでいるほうがずっと楽しいじゃないか。そうだ、そうすれば良い。

そんなある時、D・カーネギーの名著を読みました。私はカーネギーの言葉一つひとつに、ハッと気づかされました。今まで私を苦しめていた不安は、全て自分で作り出したものだったのだ、と。人といて楽しくないのは、自分が優位に立つことを考えてしまっていたが為である、と。家族も友人も、どちらが上というのはないのです。対等であるからこそ、初めてつまらないことで笑い合えるのです。私はようやく次のステップを踏めます。変わる勇気を持つことです。