自分ではじめたブログなのに
サボタージュって、何か変ですね。
要するに
ぼく自身にとっては
気まぐれな備忘録という事かな?
その時々で何を思っていたか?という
記録なのでしょう。
それも気が向いた時の…。
で前回ロシア革命記念日の事を書きました。
100回目の記念日です。
そして、
ぼくが勤める高齢者施設には
来月100歳になられるおばあさんが
いらっしゃいます。
つまり1917年生まれです。
彼女は認知症の症状はあるのですが、
ご飯もご自身で箸を使って食べられ
車椅子も自操してトイレも行かれています。
時々、
「ご飯を食べていない」と
食事直後に訴えられたり、
「財布がない、盗られた」と
訴えられたりするだけです。
訴えられる時の様子を見ていると
彼女自身の理屈があります。
空腹だから、食べていない!
食事は完食されているのだけど、
多分物足りなかったのでしょう。
ぼくらでもありますよね、
空腹の時、
少し食べるともっと食べたくなる時。
高齢者施設の「老人食」なので
消化も比較的良いだろうし。
つまり彼女は
認知症による記憶障害を
空腹だ、だから食べてないと
身体感覚で補っているのです。
「財布がない、盗られた」というのも
よく食事後に訴えられます。
つまり彼女の理屈の中では
お食事を他所で食べたら
お代を支払わなければならない、
支払いしようとしたら、
持っていたはずの財布がない、
あゝ、盗られた❗️
となってしまうのです。
僕たちがよくきく例では
目の不自由な全盲の方は
特に耳など他の感覚器官が
鋭敏だという事があります。
人は自分に何か足りないものがあれば
他で補っていこうとするのだと思います。
考えてそうなるのではなく、
存在自体が自然にそうなるのでしょう。
彼女は記憶の障害を
体感と身についた習慣となどで
補っているのです。
彼女は瀬戸内海のある島で生まれています。
最近の事は忘れますが
子供の時の頃の事は
活き活きと話してくれます。
村の長老が若者たちを集め
四国のお遍路さんを回る風習があった事や
村祭りでお面をつけて
おかしな服装で踊ったら男たちが
ゾロゾロついてきた話とか
女学校でテストが嫌で
級長だった彼女がクラス全員を率いて
押入れに隠れた事などなど。
ご主人を焦らして焦らして魅きつけた事。
ご主人が亡くなった時
四天王寺さんで大きな葬式をあげたら
選挙をしていた人がみんなやってきて
焼香をしていった事なども
話されます。
時々
彼女は車椅子を自操しながら
「良い人生やった!」とつぶやきます。
ともすれば「早くお迎えに来て欲しい」
と自己否定的に話される高齢者が多い中
彼女はある意味、稀有な存在です。
では、ロシア革命100年と
彼女の100年の人生は
どちらが重たいのでしょう?
そんな比較自体意味のない事でしょうが
歴史に残る事がらがあり、
おそらくは歴史に残らないであろう
活き活きと生きた彼女の人生があります。
歴史に残らなくても、
彼女が生きて来た道が尊いものに感じます。
ロシア革命も第二次世界大戦も
歴史に記されていますが、
その中には様々に自分の生を生きた
人々がいる事を考えないと、
歴史そのものに意味がなくなると
思うのです。