次男に教えてもらい読んだ本です。
「ぼくたちはこの国を
こんなふうに
愛することに決めた」という
タイトルは長いし、
作者の高橋源一郎さんについて
全く知らなければ、
このタイトルでぼくは
「日本会議」絡みの作家か
忖度作家のアリバイ作品ぐらいにしか
思わなかったでしょう。
中身は全く違いました。
とりあえず、
この国をどんな風に
愛する事に決めたのかは
何も語られません。
フリースクールのようなところに通う
主人公ランたちが「国」ではなく
「くに」を作ろうとして
色々なことに取り組み考えていくのです。
まず僕らが魅かれるのは
このフリースクールです。
あとでネットでわかったのですが
このフリースクールのモデルは
行政に認可された正式な学校として
実在するのです。
当の高橋源一郎さんが
2013年にルポルタージュしていました。
このルポルタージュは
以下のようなものです。
興味がある方は検索してみてください。
この学校には
「学年」がありません。
さらに「教科」がない。
「宿題」「チャイム」「試験」「通信簿」
もありません。
そして「先生」がいない。
「廊下」もありません。
「入学式」も「卒業式」もありません。
「お金」もないというのは
半分冗談、半分本当とか。
校長は
でも楽しいことがいっぱいあると言います。
4つのプロジェクトチームに分かれ
1日それに自分達で取り組みます。
遊び道具や小屋を作ったり、
かまどを作ってご飯を炊いたり、
1つの劇の上演に向かい
あれこれ考えて手や体を動かしたりします。
普通の学校よりずっと時間は少ないけれど
「授業」らしい時間もあります。
でもこれは
プロジェクトのためのレッスンなのです。
こんな質問があるそうです。
『それじゃあ、
一年中
遊んでいるようなものじゃないのか。
「学力」はどうなるんだ?
「この国」では
そんな「楽」ばかりしている人間は
通用しない、』
(このルポルタージュの中に
「この国」という言葉が出てくるのが
この質問の所でした。)
こういう学校をはじめたのは
ホリさんという方です。
ホリさんが
こういう学校を作りはじめて20年以上が
過ぎていると言います。
最初に
和歌山県の「きのくに子どもの村学園」
次に
福井県の「子どもの村」
福岡県の「北九州子どもの村」
そしてここ「南アルプス子どもの村」
と順に作っていったと言う事です。
そしてこんな風に綴られます。
以上がルポルタージュの要約です。
このルポは2013年に書かれています。
そしてこの
「ぼくたちはこの国を
こんなふうに
愛することに決めた」は
2016年8月から雑誌「すばる」で
連載されていました。
そしてこの新書本は2017年12月初版です。
高橋源一郎さんが
この学校について伝えたいのであれば
ルポルタージュとして
書けばよかったのです。
しかし違います。
この学校は本当に凄いと思います。
しかし、作家高橋源一郎が
表現しようとしたのは、
おそらく
それだけではなかったと思うのです。
取材されたであろう2013年前後から
この本が出版された昨年までの間に
「この国」の様相は極端に
逆向的に変貌しています。
安倍一派と
それに追従する
自分の感受性と頭を使って考える事を
やめてしまった
「この国」の人達が
その元凶です。
ぼくは人数の多数、少数が
物事の是非を決めるものではないと
思っています。
でなければ常にマイノリティーは
非の側にいなければなりません。
そうではないのです。
常に個々人が自身の感受性と頭を使って
ゼロから
考えて行かなければならないのです。
その為には先人達の「知」が
力になってくれるのだろうと思います。
どんどん分け入って行く
シュールな図書館の場面が
それを象徴的に現しているのだと思います。
そこでほとんど裸の男性が
ランちゃんにマッチ箱をくれます。
「クマちゃん」と名のるこの人は
南方熊楠がモデルでしょう。
その他に
肝太先生(カント)、理想先生(ルソー)が
ありもしない三階から
出てきたり、
最後にはクマちゃんが
ドイツ語を話す
経済学が得意なマルちゃんを
連れて来るところで終わります。
つまりこのようにして
自分の感受性から
先人達の知を利用して
自分の頭でゼロから考える事が
この国を愛する仕方なのだと
言っているように思います。
表題の
「ぼくたちはこの国を
こんなふうに
愛する事に決めた」
「ぼくたち」とは物語に登場する
ランちゃん達ではなく
作者の高橋源一郎さんであり
読者であるわれわれなのだと
ぼくは思います。



