3月2日、私は北24条にある「画廊喫茶チャオ」で開催された「零壱壱写真展『In Frame』」に来場していた。この日、18時からギャラリートークイベントが開催され、私の来場時間はその数分前であった。立食形式で食事の提供もあり、私はフライドポテトや唐揚げ、メインディッシュであるペンネグラタンに舌鼓を打った。


この日、私は会場でとてつもない大天才と出会った。被写体兼カメラマンとして、作品を出展していた大天才はミュージシャンでもある。私は、出会ったばかりの大天才と様々な話をしているうちに、大天才がTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの大ファンである事を知り、私もTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの大ファンである事、YouTubeのオススメ動画として表示されたTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの動画を観た時に、ギターの故アベフトシ氏のカッティングに惚れた事、そして昨年12月にボーカルのチバユウスケ氏の訃報を知った時に物凄くショックを受け、今も立ち直れていない事を話した。


 



大天才との出会いは、私が小学生の頃に観ていたアニメの第1話のようであった。そのアニメとは、2007年から2009年にかけて放送されていた「BLUE DRAGON」であり、主人公・シュウが第1話にて、私の推しキャラでもあるゾラと出会う場面が、まさに私が大天才と出会う瞬間と重なる気がしたのである。それ程に、大天才との出会いは私がこれまで生きてきた中で、重要な出来事の1つであった。大天才はモデルとしての我が推しにして、尊敬するロッカーの1人である。


大天才との出会いから、もうすぐ1週間が経とうとしていた3月8日、BLUE DRAGONの原作者である鳥山明先生の訃報が報じられた。子ども時代の思い出の1ページを思い出すきっかけとなった出来事の前日に、その思い出の1ページとなる作品の生みの親は旅立った。たまたま偶然なのかもしれない、それでも色々と考える事は山のようにある。もちろん、その答えは出ていない。現時点では、答えを出すまでにはかなり時間がかかる事だけが確定している。


鳥山先生の訃報が報じられる前日の3月7日、昨年訃報が報じられた歌手・櫻井敦司氏がご存命であれば58歳の誕生日であった。今、櫻井敦司氏がボーカルを努めたBUCK-TICKの「Memento mori」が脳内再生されている。“愛と死” “出会いと別れ” ・・・歌詞の内容が、まさに今の私の気持ちそのものである。


 


〜追記〜

この記事をUPした3日後、入院中だった母方の祖父が世を去り、その翌々日に祖父を見送った。