スピリチュアリティと宗教の違いには、このような表現方法も存在している。「宗教は傷ついた小鳥を保護し癒した後にかごの中に閉じ込めてしまう。」「スピリチュアリティは小鳥を保護し癒した後にかごから外に逃がしてくれる。」これは、スピリチュアリティの目指すものが個々人の自立であり、宗教勧誘を目的としたものでないということがいえるからだ。また、このような表現もある。「宗教はアフリカ難民に食糧援助をして依存させてしまう。」「スピリチュアリティはアフリカ難民に魚の釣り方や小麦の作り方を教えて自立させる。」このことから宗教とスピリチュアリティは、霊性というキーワードでは共通だが、「依存」と「自立」という方向性では180度反対ともいえる社会現象なのである。しかしその目標とは裏腹にスピリチュアリティに依存する人間も多く、問題となっているとの批判がある。
スピリチュアリティーWikipediaより
新しい店に来て
以前にもまして、整体をやりたくなくなった
何故かわからなかった
ヒーリングの方にいくか
エネルギーワークの方にいくか
癒しエネルギーヒーリング
ってメニューを作ろうかなと
癒しを調べていたら
スピリチュアルにいって
そこで、見つけたものがスピリチュアリティー
すばらしい
常日頃、思っていた事だ
私は、先生とか宗教家に向いていると
占いでよく言われていたが
指導するものがなく
”自分の人生なんやから、好きにしたらいいやん~”
”いつ死ぬかわからんし~”
って感じ
もちろん未来もの大事だけど
今があっての未来?明日?って感じ
将来を考えすぎて縮こまりすぎるのも
どうかと・・・
子供が大人に成長してやがて巣立っていくように(自立)
経済的成長や肉体的成長だけじゃなく
ココロの成長も
学び・教育・勉強する場所が必要じゃないのかな
とはいえ、コレが正解ってものがないだけに
気付いて
自分で歩みだすってのが正直な話でしょうが
メンタルとボディーをヒーリング(癒す)教室をやりたいなぁ~
セルフでできるヒーリングだけでなく
助け合う・分かち合う・高めあう
ってなれば、なお楽しいだろうな
タロットは
今現在の整理と状況把握にもつかえるし
ココロとカラダの
寄り処
って感じでいいのかなぁ~
茶のみ仲間みたいになったりして
まぁ~そん時はそん時で
気が向いたら
手料理でも、振舞うのもありかな
宴会なってまうな