『金なんてないよ そんなもんとっくにないってばぁ』 そういいながら、ゆう君は笑っていた。
『だから今日も晩メシ抜きなんだよ』 と平然としている。
『そんなことよりもさぁ、良い曲書けそうなんだ。もう少しで仕上がりそうなんだ。晩飯どころじゃないよなぁ。』
だから僕は言ってやった。 『お前はそんな事だからいつもガリガリに痩せてて太れないんだよな。』
それでも彼はニコニコ笑いながら、幸せな子供みたいな目をしていた。
そうなんだろうな、今日のメシよりもギターが大事、音楽が大事なんだ。
かなりな貧乏をしているくせに、何故かいつでもギターにだけは物が足りないなんてことはなかった。
彼の部屋は月2万8千円のボロアパート。4畳半一間の部屋にはありとあらゆる物が転がっていて、
足の踏み場もないとはこのことを言うのだとつくずく感じる。
コタツの中に足を入れると、何やら靴下やパンツが洗濯したそのまま丸めて突っ込んであるし、
床の上には座るスペースを確保するのが精一杯で、どこで寝てるのかと不思議で仕方ない。
そんな部屋の片付けもロクにしなたことのない彼でも、大切なギターの周囲だけはいつでも綺麗になっている。
万一、何かがギターにぶつかると傷になる。ギターの周囲に物を置かないのが鉄則だった。
それだけじゃない。
冬になれば乾燥するからと、必ず水で満たしたコップを傍に置き、夏になれば絶えずシリカゲルで
ギターが多湿になるのを防いでいた。
そのためのギターケースだったし、湿気も乾燥もギターには悪影響があるからだ。
彼は洗濯や風呂を忘れることはあっても、それだけは絶対に欠かさなかった。
『ギターはな、愛情をもって大事にしていると、俺の気持ちを音で表現してくれるんだ。
俺が寂しい時は、鈴の音みたいに静かな寂しい音を出すし、楽しい時はバンバン鳴ってくれる。
愛しい彼女のことを思いながら弾くと、綺麗で澄んだ音色になるんだよなぁ。
まるで生きてるみたいなんだよ・・・。お前にはわからないだろうなぁ。』
そんな話を何度となく彼の口から聞いた。
彼の左手の指は、指先がタコになっていて硬く、そして真っ平だった。
爪楊枝くらいなら指先に突き刺しても楊枝の方が負けてしまうくらい硬くて、少しくらいなら針を刺しても
痛くないと言っていた。
毎日朝から晩までスチールの弦を押さえている指先は人の指先じゃなかった。
『いつかステージに立つよ。プロとしてね。俺、ギターの事と曲を書く事しか知らないからなぁ、
他に何もできない音楽バカだしさ。』
そう話してくれる彼は、とても貧乏な生活をしている人の顔をしていなかった。
男の僕が言うのもなんだけど、ゆう君はとても良い顔をしていた。