最近冬のオリンピックが終わって、そろそろオリンピック熱も冷めた頃で、今更って感もあるんだけどどうしても書きたくて。
何年か前に見たオリンピックの事。
僕は誰が金メダルを獲っても泣いたことなんてなかったんだけど、ただ一度、オリンピックで戦う者の姿を見てどうしても涙を止められなかったことがある。
今でも何故あの時涙が出てきたのかわからないけど、少なくとも哀れみとか同情の涙でなかったことだけは確かだ。

スポーツのことを何も知らない僕にでも、オリンピックでメダルを獲得することがどれだけ困難なことか、それまでにどれほどの努力や苦しさを味わうのか、わかっているつもりだ。
なにしろ、世界中の猛者が国を代表して集まってくるのである。少々苦しい練習をしたからといって簡単に勝てるものではないことくらいわかる。
だからこそ、一流のコーチを携え、一流の監督の下、一流のトレーナーのサポートを受けながら、選手達は計画的にオリンピックのための準備をする。
それでも簡単には勝てない。
彼らがメダルを獲得した時には、多くの人が感動し涙してきたのもオリンピックだった。

僕が見た彼は、そんなオリンピックの選手達と大きく違うマラソンの選手だった。
そう、彼こそが、自分の応援する選手がメダルを獲っても涙など流したことのない僕に涙を流させた。
彼の国は長い間内戦が続き、オリンピックへの出場が決まってもとても練習どころではなかった。
外へ出ればいつ銃弾を浴びるかわからない、練習用の靴さえ満足に手に入らない。
たまに走るコースと言えば、爆撃で壊れた建物の間を縫うように、瓦礫の中を走るしかなかった。
それでも、彼は母国を代表してオリンピックのスタートラインに立った。

彼がマラソンのゴール地点となる陸上競技場へ戻ってきた時、競技場の中にゴールはなくなっていた。
全ての選手がゴールし、表彰式も終わり、会場は競技の片付け作業のために作業員や設備スタッフしかいなかったからだ。
たまたま、片付け作業の進む競技場でカメラを回している者がいた。
そのカメラはゴールのなくなった競技場を、見えないゴールを目指して走る彼の姿を追っていた。
とっくに競技が終っているので、彼を止めようとするスタッフもいたようだが、彼はまったく気にとめなかった。
ゆっくりではあるけれど、決して見えないゴールへ向かう足を止めようとはしない。
多分彼は、スタートしてからずっと、順位がどうであるかなんて考えてはいなかっただろうと思う。走りながら、必ずゴールすると誓っていたのだろうと思う。
だから彼が走る姿にははっきりと意志があった。最後まで決してレースを諦めないという思いが見えた。

そんな彼の映像を見ながら、僕はどんな選手の時よりも彼を応援していた。
応援しながら、涙が溢れてきて、テレビの画面が滲んでよく見えなかったけど。