今日の都内はとても混んでいて、僕が運転する車は渋滞にハマることが結構多かった。

信号待ちをしながら、遅々として前に進まない車の中から、歩道を歩く一人の女性に思わず見入ってしまった。

彼女はまだお婆さんとはいえないけれどそこそこ高齢らしく、ベビーカーのようなものを押している。
押しているというよりは、つかまり立ちしていると表現する方が正しいかもしれない。

幼児が乗っているわけではないベビーカーらしき物のグリップをしっかり握り、一歩前に出ては止まり、足の位置を確かめながら、でも時々ふらふらと不安定だった。
そしてまた、自分の向かうべき方向を定めてからまた一歩前に出る。
その動作を何度も繰り返しているのだった。

見たところ恐らくは一人で歩けるように訓練、或いは何かのリハビリをしていたのかもしれない。
だから、何かにつかまって歩かなければ一人では立っているのがやっとの状態だということはすぐにわかった。

彼女の一歩一歩を見ながら、少し涙が出そうな感覚があったのだけれど、それは、僕がいつも心に思っていることを彼女が実践していたからだった。

もしかしたら彼女の地道な努力は無駄になってしまうのかもしれない、その中でも歩ける日を目指しているのであったとしたら、それは途方もない勇気なのだと思う。
その予想があたっているのかどうかはわからないけれど、たった一人で、今日みたいに風の強い中を、ほんの数メートル進むだけでも何分も要する練習を自分に課し、それを実行していこうとする意志を感じたからだった。

僕は意外と薄情なヤツなので、困っているからと言って、人が苦しんでいるからと言って涙するようなことはない。
でも、今できないことをできるようにするための意志を持つということは簡単ではない。
だから僕は、苦しんでいる姿ではなく、どん底から立ち上がろうとする意志と姿勢にこそ同情や哀れみではない優しい気持ちになれる。

なんだかまとまらない文章だけれど、珍しく見ず知らずの人に感動した瞬間だった。