怒りの葡萄 The Grapes of Wrath
〈1940(🇯🇵1963)アメリカ〉128分
〔監〕ジョン・フォード
〔原〕ジョン・スタインベック
(『怒りの葡萄』1939年刊行)
〔音〕アルフレッド・ニューマン
〔出〕ヘンリー・フォンダ
(トム・ジョード)
・・・ジェーン・ダーウェル(トムの母)
・・・ジョン・キャラダイン
(ジム・ケイシー)
*ネタバレあります。閲覧ご注意ください。
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大恐慌ものの真打ちにして、アメリカ横断ロードムービーの先駆け的1本。
◉あらすじ
大恐慌から数年後のオクラホマ。
殺人罪で服役していたトム・ジョードは、仮釈放となり4年ぶりに塀の外へ。
帰郷の途上、顔見知りの元牧師ケイシーと出会い同道します。
ようやくたどり着いた我が家でしたが、なぜか中は真っ暗で人の気配もありません。一帯の小作農は不況・頻発する砂嵐・機械化の煽りを受け、立ち退きを余儀なくされていたのです。
叔父の家を訪ね、ぶじ家族と再会したトム。「西海岸に働き口があるらしい」と聞き、移住に賛成します。
1台のトラックに父母弟妹・叔父従兄弟・妹夫婦にケイシーまで乗り込み、家財道具をありったけ積んだ過積載状態で、一行は夢のカリフォルニアへ向け旅立ったのでした。
↑オクラホマ最後の日、思い出箱を整理するママ・ジョード。鏡に向かってちょっと微笑むのが可愛くもせつない……
道中じいちゃんばあちゃんが死んじゃったり、西部の芳しくない噂を耳にしたり、ケイシーが公務執行妨害(的な罪)で連行されたり、死の砂漠を越えたりガス欠になったりしながら、どうにかこうにかカリフォルニアへ。
けれどそこも楽園ではありませんでした。安住の地を求めて転々とするうち、トムは貧者が搾取され富者がますます栄える資本主義の構造に目を向けはじめます。
ブラック農場をからくも脱出した一行は「たまたま」好条件の農園に迎えられますが、逆にこれまでの待遇とギャップがありすぎ、トムは幸運を素直に喜べません。
労働運動に興味を持ったトムは、活動家のアジトで思いがけずケイシーと再会します。労働者の権利について語り合った2人は意気投合。
しかしその夜、ケイシーは警官から暴行を受け殺されてしまいます。側にいたトムはとっさに警棒を奪い取り、警官を撲って逃走したのでした。
とりあえず家族のもとへ戻ったトムでしたが、やがてそこへも捜査の手が。
家族を巻き込むことを恐れ、何も言わずに農場を去ろうとするトムでしたが──
みたいなお話。
◉スルーのわけ
ただただ重くて暗くて救いのない作品なんだろうなと思ってました。見終わってから半日はなんにも食べたくなくなるような、一家全員痩せ細って死んじゃって埋葬する土地もない、みたいな陰惨なやつ。
《二十日鼠と人間》(1992年)の影響が大きかったかも。《二十日──》は好きな作品なのですが、それなりに覚悟が要るので。
泳ぎ疲れてヒレぼろぼろな週末の小魚にはいかにも荷が重そうで、見ないまま今に至った次第です。
◉感じたこと考えたこと
思ったほどには重苦しくなく、意外とヒューマン&ファミリーな作品でした。
全体に体育会系なノリで、むしろ《二十日鼠と人間》と同じ原作者ってことが信じられないくらい。製作年代の違い、監督の資質の違いなのかなあ。
もちろんテーマがテーマなので深刻な部分もあります。
地主は横暴だし、無辜の市民が誤射で死んだりもするし、妹婿は妊娠中の妻をおいて逃げちゃうし。でも「まあしゃーないべ」みたいなさらっとした描き方で、あんまり湿度が高くない。
ユーモアと人情、そして図太いくらいの生命力にアメリカ人の一源流を見た気がしました。
◎南部気質……?
なのかなアレは。
ものの弾みとは言え人を殺したトムを、家族は諸手を挙げて歓迎します。疎んじるどころか、おじいちゃんに至っては「脱獄か!でかした、さすがわしの孫だ!」と大はしゃぎする始末。
お上の定めたルールより家族優先、むしろ法に逆らえば逆らうほど尊敬されかねないムードです。
ひとつ前の記事で取り上げた
《俺たちに明日はない》(1967年)のバック・バロウ(お隣りテキサスのご出身)も、テンション高くて無鉄砲、身内意識が強く、犯罪を手柄のように誇るところがジョード家のヒトタチとよく似てます。そういう土地柄なのかなあ。
『The Grapes of Wrath』
(C) 20th Century Studios, Inc.
All rights reserved.
↑二言目には「コロス!」「ヤッテヤル!」ととにかく血の気の多い皆さん。一時の政情不安のせいじゃない、DNAに深く根差したものを感じます……
トムは他と比べるとだいぶ無口だけど、それでも短気なのは同じ。すぐムッとしてカッとなる。 「深呼吸して6数える」アンガー・マネジメント法をぜひとも教えてさしあげたいです。
ただ、トムのあの性格が「あ、ママ譲りなのね」とわかる描写が用意されてるところがイイ。ママ似って設定のおかげで「これだからアメリカの男は」みたいな方へ鉾先が向かずに済むし、母子の絆みたいなものもより強く感じられるし。
◎ハドソン スーパー・シックス
大恐慌と聞くと、デニムのつなぎ+フラットキャップの農夫、家財道具を積めるだけ積んだ例の車が思い浮かびます。
第二の主役と言っても過言ではないあのメガ盛りトラック、〈ハドソン スーパー・シックス〉て車種らしいです。
「中古で購入し、改造して荷台を取り付けた」そうで、もともとのハドソンくんはトラックですらなかった模様。いまの交通法なら過積載以前にカスタム過多で違法だよね……
傾斜地にさしかかると車輪が片方浮いちゃったり、カーブでゆら~っと傾いだりする様子に冷や冷や。荷造りうまいんだか下手なんだかももはやわかりません。
途中から《ハウルの動く城》と同じ音しはじめるし……検問抜けるシーンより、“この車いけんのか問題” のほうがずっとスリリングでした。
『The Grapes of Wrath』
(C) 20th Century Studios, Inc.
All rights reserved.
↑子どもたちをてっぺんに乗せてるとなんかお祭りの山車みたい。一周回って楽しげです。
この「オンボロ車に乗り込んでカリフォルニアを目指す家族」の姿に、鑑賞中何度も 《リトル・ミス・サンシャイン》(2006年)を思い出しました。
《リトル──》の製作陣は当初東海岸を南下するルートを想定していたそうなので、「《怒りの葡萄》をパロディするぞ!」ていう気構えではなかったのでしょうが、結果的に 食い詰めた一家がカリフォルニアへ向かう → 車壊れる → 死人出る → 警察の目を逃れて旅続ける、みたいな要素が多々共通していて、本歌取りのオモムキがありました。
◎今後の抱負
最後のママの長台詞……「庶民は雑草のようにしぶといんだ、根絶やしになんかされるもんか」「わたしたちは永遠に続くよ、庶民だからね!」ていうアレに、《風と共に去りぬ》(1939年)のラストシーンを連想しました。スカーレットが畑で泥大根(みたいなナニカ)を齧りながら「わたしは負けない!二度と飢えたりしないわ!」て宣言する、あのちょっと変てこな終わり方……
「今後の抱負を高らかにうたいあげて終わる」みたいな “着地の型” があったのかなあ、この時代の映画には。いま見ると弁論大会みたいで不自然だなって思っちゃうけど。
……と思ってたら、やっぱり監督の意に反してユニバーサルの社長がムリヤリ言わせたんだそうです、あの台詞。船頭多くしてなんとやらです。
そう言えばもうひとつ蛇足感を覚えたシーンが。
ドライブインのウェイトレスがキャンディ代をまけてあげて、それを常連客がさりげに肩代わりするエピソード──あそこでウェイトレスが「粋だねえ」とか言っちゃうあのひと言!「いやそれ言わなきゃもっと粋だったのに!」ととても残念に思いました。映画を見慣れない人にも伝わるように、ていう時代的な配慮だったのかなあ。
とにかくロードムービー好きな方にはおすすめの1本です。思うほど堅くも鬱でもなく、良い意味でアメリカンです。
あと……結局なんで葡萄だったんだろ。宗教的なナニカ?『怒りのオレンジ』とか『怒りのピーチ』『怒りのコットン』じゃだめですか。
◉目についたもの気になったこと
“CROSS ROAD” / 電信柱の列 / フラットキャップ / オーバーオール / スワローハット / セントルイス万国博の記念の犬 / 金持ちはオープンカー乗りがち / とうもろこしのパン / しましまの棒キャンディ / 『レッド・リヴァー・ヴァレー』
お目通しありがとうございました。
絵と文:きびなご