第1回は
「律令国家と詩歌」でした
国家運営と歌集と
どんな関係があるのか
その一部を紹介します
特に
天武・持統天皇の時代
巻一と巻ニを中心に話がありました
(Wikipediaより)
雑歌というのは
公的行事の歌らしいです
巻一・二五
み吉野の 耳我の嶺に 時なくそ
雪は降りける 間なくそ
雨は降りける その雪の
時なきぎごと その雨の
間なきがごとく 隈もおちず
思ひつつくし その山道を
当時 大海人皇子だった天武天皇が
皇位継承を断って吉野へ向かう途中に
詠んだ歌だと思えば
雨や雪が間断なく降る中
山道を曲がるごとに
暗雲立ち込める不安感を
歌っているように感じます
その後壬申の乱に勝利し
天皇に即位します
その後
縁深い吉野で
「六皇子の盟約」といわれる時の歌
巻一・二七
よき人のよしとよく見てよしと言ひし
吉野よく見よよい人よく見
「良い」という語を使い
韻を踏んで躍動感あふれる歌に
なっています
淑人乃 良跡吉見而 好常言師
芳野吉見与 良人四来三
「よい」を色んな漢字を使っています
壬申の乱を経て争いのない世へ
律令国家の形成への
意気込みを感じます
天武天皇崩御のあと
皇太子の草壁皇子も亡くなり
皇后であった持統天皇が
皇位を継ぎます
持統天皇は
志半ばであった天武天皇の国づくりを
やり遂げようとします
そして
藤原京へ遷都し歌を詠みます
巻一・二八
春過ぎて夏来たるらし
白栲の衣乾したり天の香具山
(Wikipediaより)
夏の情景を詠んだ歌ですが
頼っていた夫を亡くし
跡を継ぐべき息子も失い
失意の中
少しずつできあがっていく新しい都を
見ながら
美しい情景と国づくりを
オーバーラップさせる決意の歌
ともとれるように思います
柿本人麻呂は
そんな持統天皇の意を汲んでいると
とれる歌を詠んでいます
巻一・三九
山川も依りて仕ふる神ながら
たぎつ河内に船出せすかも
山の神も川の神も仕え従う
現人神の天皇は
今激流ほとばしる河の中へ
船出されようとしている
神々を従えて
たくさんの課題をかかえる国へ
飛び込んで行こうとされている
講座のまとめで
論語に「政をなすに徳を以てす」とあり
徳とは地方の詩歌らしいです
批判等も含め
地方の歌を知ることで
国家運営の参考にすることのようです
万葉集の歌の中には
歴史書的な内容もあるのですね