「街道をゆく7」の中に

「明石海峡と淡路みち」

という章があります


もちろん司馬遼太郎の本です


明石から船で淡路島へ


この章に限らず

旅をした先々で

地名や地形や

そこに住む人々の生活から


日本や日本人というものを

考えます


例えば

播磨灘を囲む漁港を見ながら

国家の成り立ちを述べています


日本も中国もヨーロッパも

「国家は農民や牧畜民の上に乗っかかってきた。しかし漁業民の上には乗っかからなかった。」


律令体制で農民を管理して

漁業民を収奪の対象にさえしませんでした


なるほど

安定した生産高を上げるのは

狩猟より作物が確率が高い


土地を守ってもらう代わりに

収穫した作物を献上する


こんな構図が

古代からできあがっていたのですね


だから

日本の敬語は

農村を基盤にした支配階級のなかで

発達していったようです


漁村は

海へ漕ぎ出して

自分の腕で魚を獲るのに

誰に頭をさげる必要があるのかと

いうことだろうと

司馬さんは述べています


漁師と話をする中でも

ここまで視点が広がります


淡路とは

阿波(あわ)への路(みち)

だそうです


豊臣秀吉により

阿波国は蜂須賀氏に与えられ

淡路島も含んでいました


ところが

徳島城主の蜂須賀氏と

洲本城主の筆頭家老 稲田氏が

対立したことをきっかけにして

廃藩置県で

兵庫県に組み入れられました


島民にとっては

どうだったんでしょう?


おのころ島と呼ばれ

神話の中にも出てくる淡路島は

他とは違った歴史を歩んできたように

思えます


今年は

アワイチを計画し

司馬さんの淡路みちをたどりたい