楽しみの週末が雨なのがつらい
今日は
歴史に憩う橿原市博物館の講演
「壬申の役と日本の成立」
です
定員50名
先着順です
こりゃまた厳しい
12時過ぎに会場へ行くと
1番乗り
いい席を確保
開始まで1時間以上もあります
何となく胸が窮屈に思い
ハイネックの首口に手を入れると
タグの感触があります
後ろ前反対でした
先着順が気になって
慌ててたのか
講演が楽しみで
うわの空だったのか
時間があるので
着直しました
ボチボチ人が集まってきましたよ
講座の論点は2つ
①天武天皇にとって壬申の役とは何か?
②日本の成立はまさに「爆誕」
これまでの講座とちがうのは
「乱」と「役」の扱いです
「乱」というは
政権に対する反乱です
それでは
勝者の天武側にとって困ります
天武天皇が命じてつくらせた
日本書紀には「役」となっています
「そんなつもりはなかったんですよ」
「でも命を狙われるもんですから」
「神々のお告げもあって・・・」
てなことが書かれています
天武の死後に書かれた
「懐風藻」(751年)には「乱」
「万葉集」(752年)にも「乱」
「続日本紀」(797年)も「乱」
このころにはもう
反乱というイメージではなく
歴史上の出来事と捉えられたのでは
と考えられます
「乱」と思われると困る天武天皇は
画期的な国づくりをします
天武の目指した国づくりは
天武から持統(妻)・文武(孫)と
3代にわたって
日本の礎を気づいていきます
672年壬申の役から
701年大宝律令制定まで
飛鳥浄御原令制定
藤原京造営
大宝律令制定
貨幣の製造
度量衡の統一などなど
たった30年間で爆発的に
やり遂げます
国号も
倭(やまと)から日本(やまと)へ
変わります
これが日本の成立「爆誕」です
この時にはじまった制度は
現在の日本でも形を変えて
生きていることがすごい!!
帰りには
博物館の展示品の
説明もありました
671年生まれの男性が
35歳の時に宮仕えの日を
占った木簡が
藤原京で出土しています
この人は
「爆誕」の時代を
そのまま肌で感じていたと
考えると
羨ましく思います
おっと!忘れてはならない!
高取町森カシ谷遺跡(烽台)の
出土品も展示してありましたよ