今回は副葬品から見た古墳と時代を

勝手に想像してみます


豊富な副葬品は前回紹介しました


銅鏡3面 銅鏃70点以上 不明同製品5点

鉄製刀剣9点以上 鉄鏃74点以上

工具類ほか31点以上


土器は

二重口縁壺11個 小形丸底土器4個

出土しています


二重口縁壺は各所に装飾があり

弥生時代の終わりから

古墳時代の初めにかけて流行しています


口 首 胴の部分に

丸や線の装飾が見られる


現代から見ると

単純な図柄でそれほど特徴がないように

思えてしまうが


装飾は作り手の違いを表し

色の違いは土の産地の違いを

表しているようです


他国から土を取寄せ

各地から集まった職人によって

作られたと考えられています


人や物が集まるところ


やはり ここ纏向が

倭国の中心地だったのです


では

これらの土器はどのように

使われたのでしょう


土器は木槨の蓋の上に

縁に沿って四角く取り囲むように

並べてあったことが

わかっています



同時期の

桜井茶臼山古墳やメスリ山古墳と

比較すると


埋葬施設の真上の空間を

神聖なものとして演出し

何らかの祭祀が行われたらしい


副葬品の銅鏡や

素環頭大刀や鉄鏃などは

中国との繋がりを強く表しています


1m以上の素環頭大刀は

朝鮮半島にはなく

中国で出土していますし


鉄鏃は魏の曹操の墓からも

出土しています


そして

故人が身につけていたであろう装飾品は

ほとんどありません


以上のことから

行われた祭祀は


死者を弔うという意味よりも

先代の大王(オオキミ)から新大王へと

魂を移すこと

または神を降臨させるなど

宗教的な意図を感じさせ


同時に

大王の権威を引き継ぐことを

国内外へ知らしめる

政治的な意図があったのではないかと

考えられています


「魏志」倭人伝には卑弥呼のことを

「鬼道に事へ能く衆を惑わす」

とあります


呪術的な力を持った巫女が

その儀式を執り行う姿が浮かびます


新たな国家「ヤマト王権」は

これまでなかった

特異な形をした墓(前方後円墳)で

特殊な能力を持った人が

特別な儀式でもって

世代交代を制度化したのでしょう


その光景に


民は

国の安寧と五穀豊穣を

確信したに違いない


ヤマト王権内の国々は

強大な中国を後ろ盾にした新大王に

畏敬の念を表したに違いない


中国や朝鮮の国々は

新大王であることを認めたに違いない


なんと合理的な仕組みだろうか

しかも3世紀の人たちに

と言えば失礼だろうか


今に引き継がれている大嘗祭の原型?

だったかもしれないと

想像はふくらみます


同時に開催された特別展示では

大王を支える立場の人物の可能性を示唆


「魏志」倭人伝には

「男弟有りて国を治むるを佐く」

卑弥呼の弟が政治を助けたと

あります


箸墓古墳が卑弥呼の墓だとすれば


ホケノ山古墳と箸墓古墳の

位置関係を考えれば

弟の可能性も高いのでは?


夢があるなぁ