誠二、こんなとこで何やってるんだ!どれだけ周りに迷惑かけてると、
 取り繕って灸を据えようとするが、湧き出る感情が爆発し言葉をかき消す。問題児の弟を抱き寄せ体温を感じ取った。まだ守るべきものがある。それだけ分かれば十分だ。
「な、なんだよ気持ち悪ぃな。それより消防署にギャオスいっぱいいるぞ、変な白いのも」
「セイリュウか!どこだ、いつどこで見た!」
「セイリュウってなんだよ、あのトカゲみたいなやつか。さっき庭坂消防で使えそうなもん借りてたんだよ。そん時に見た」
 大笹生学習館を出たのち、我々はCCPの指示を基にセイリュウの足取りを追い続けていた。それまで市内をゆっくり東進していたセイリュウは、なぜか二二一四に突如学習館を飛び出し警官の射撃を受けた後、飯坂方面に向かって真っすぐ北進していた。直近五分間は通報が途絶えていたが、こんな形で目撃者と直接接触できるとは。
 人手が減るのは惜しかったが、同行していた警官に三人を保護してもらい消防署に急行する。放置車や事故車が時折亡霊のように目の前に浮き上がってはバックライトに消えていく。
 駐車場にパジェロが入った瞬間、武藤が叫んだ。跳ねるように車外に飛び出す。
「二時方向、ギャオス成体一!」
 飯塚の射撃は早い。
 自分の射撃は元々、対象への正対・銃を上げて構え・狙いを微調整して固め・呼吸を整え・引き金を引く五行程で教え込まれた。だが基地内随一の射撃の名手である飯塚は、下半身を対象に回転させ・釣られて上半身が回転する間に構え狙い・呼吸・射撃の四行程の動作を極めており、自分は庭坂に就いて以来訓練で彼の猿真似をする日々を送っている。
 また学校の筆記講習では、ギャオスへの射撃を行う場合、標的は翼膜を第一にすると教え込まれる。翼膜は身体を占める割合が大きいが比較的脆弱で再生能力が低い。翼膜が傷つくことで飛行能力と放熱機能の低下が見込めるため効率的に相手の動きを封じることができる訳だ。脳と心臓はもちろん急所ではあるが、必中させるのは難しく推奨されていない。だが飯塚はそれを容易くやってのける。
 ふたつの要因から成る結果は明白そのものだ。先刻に小銃使用が許可されてから何度かギャオスに射撃をする機会があったが、自分が銃口を向けたときには既に標的は飯塚に心臓を打ち抜かれているという状況が続いている。西分署の前でも同様に帰結した。
 署内捜索、轢傷を受けた小型個体一体とネットランチャーに絡まった大型個体一体を確認、セイリュウは確認できず。またも空振りかと思われたが、捜索中に事態は大きく変容しつつあった。
「隊長、散らばってたギャオスが再集合しつつあるみたいで、上の方では一群をヘリのサーチで大鳥城跡に追い込もうとしてるみたいッす」
「この辺もさっきからマスコミのヘリの音でざわついてるからな。不安になったセイリュウがギャオスを集めてるとかですかね、飯塚さん?」
「……いや、長ァ言うんはヘリにビビッて慌てて動くほど間抜けじゃねェ。群れを生かすことを考えて常に先読みするもんです。もしかしたら、もう飯坂か伊達の方に向かってるかも知れんです」
「CCP経由で研究室が送ってきてるシミュレーションも来てます。ヘリの追い込みに対してセイリュウが移動する可能性がある範囲なンすけど……」
 千切れかけの地図を広げ、武藤が読み上げる範囲を色マーカーで時間ごとに囲っていく。
「だいぶ広いッすね、これじゃ手が回らないッすよ」
「いんや、いい線だと思います。野生いうんは基本人間の狙いなんてお見通しです。アタマと忍耐以外、人間はどんな動物にも劣っとるもんです。でも警戒ばっかししてると疲れるし何もできねェ、だからある程度は捨て置いてくる。そこを見切って間を詰めんのが猟です」
「じゃあ、どこから追いますか」
「後追いじゃなく、先回りして罠ァ張ろう思います。急所が判んねェし、あの目方だと百二十以上は有りそうだ。ライフル効かんかも知れねェです。猟仲間の熊撃ちの家がもう少し先にありますから、そこォ寄らせてください」
 南西に三分ほど進んだところに件の家はあった。広い敷地には母屋に二棟の離れがあり、その一つは物置と趣味の部屋になっているようだった。壁に掛かった剥製を見ていると、飯塚の家で茶を飲んだ景色が重なる。
「そういえば、飯塚さんはどうして剥製に眼を入れないんですか?」
「ウチの剥製かェ?動物って綺麗な眼ェしてるからねェ、尊敬ちゅうかな。綺麗だった眼は頭ン中だけに取っておきたくてねェ……お、あったあった」
「うわ、すごいな。年代物ですね」
「トラバサミだ、今は使用禁止よ。ククリは隊長と前に鹿狩り行ったときに見たべ、こんだけじゃ百キロ越え相手じゃ千切られちまうから。武藤くんも呼んでけェ、ありったけ持ってくべ」
 十キロ以上はあろうかという大型のバネ罠五つ、ワイヤートラップ全部、錆びたエンピ三本をパジェロに積み込むと、更に南西に進む。
 高台を中速で走らせながら武藤が助手席の窓に腰掛けギャオスの位置を目視し、飯塚がセイリュウの前に回り込む進路を探る。上空では先ほどまで散見されていた報道のヘリが見当たらない。飯塚は追い込みの目標地点である大鳥城跡を回り込み、緩衝地域である西側の水田に目を付けた。
「この辺りにしましょ。追い立てられて脇ィ抜けるとしたらこの辺だ。場所ォ言うんで、道のど真ん中にトラバサミ埋めて、あぜ横にククリをお願ェします。指詰めだけ気ィつけて」
「三人散らばるしかないッすね、手信号だけ決めましょう」
「ど真ん中の罠は最後で。適当の見え見えでエエです。本命はククリで、脚ィ取られてる間に自分が寄って擲弾とライフルで仕留めます」
「そんな、危険すぎます。排除優先はダメですか」
「アイツは逃がしちゃなんねェ。隊長、オレらァやってるのは陣取り合戦だ。あんたァ入隊ン時サインしただろ。ありゃ駒になるッつうことです。駒は陣を超えた相手サ許しちゃなんねェんです」
 返す言葉も見つけられず、その後は周辺のギャオスを自分と武藤で引き受けること、援護時の射角、手信号、潜伏場所を決め、各自設置場所に散開した。
 水田の泥に足を取られないようにしながら、あぜ横と農道の真ん中に罠を設置する。春先に重機で固められるあぜも、長年の往来で踏み固められた農道も石のように固く、あっという間に指先の感覚がなくなり上腕が悲鳴を上げる。戦闘服が汗を吸い、肌に張り付いて一挙手一投足を妨げる。何とかトラバサミと周辺のククリを収め終えた頃には三十分近く経過していた。
「隊長、お疲れさま。申し訳ないネ、色々勝手言って」
「気にしないで下さい。武藤によると追い込み始まったみたいです」
「了解。この辺ロクに木も電柱もないもんで、根付が少し心配なんで、一回り見てから戻ります」
「了解です。今晩乗り越えたら、明日からは飯塚さんヒーローですよ。『セイリュウ』の名づけ親ってね」
「やっだなァ。あーん時ゃ必死で、なーんだか嫁と京都で見た天井の青龍の絵ェ思い出しちまってさァ、でもセイリュウなんてそのまんまだし、別に青くもねぇし。なーんか他のカッコいい名前にしてくれねっかなァ?」
「何言ってんですか、怪獣の名前は現場が決めるんですよ。無線もみんなセイリュウ呼びだし、このまんまだと正式名称ですよ。飯塚さん家もTUFとかいっぱい来ますよ」
「ハァ、参ったねェ……」
「だからもうちょっと頑張りましょう、交戦時はすぐパジェロ出すんで、それまで頑張ってください」
 へェ、頑張りますと言った飯塚は、少し歩くともう一度呼びかけた。
「隊長サンは、オレより早いョ」
「え、なんです?」
「遅くなんかねェ、ただ腰の回りィ強すぎンだ」
「あ。気付いてましたか、恥ずかしいな」
「腰七割で上三割、上はゆっくり優ァしく。ま、今度練習しましょ」
 愛銃を片手に飯塚が歩いていくのを見届けると、水田に飛び込み全身に泥を塗った。仰向けになって横たわると、襟元から裾口から冷たい水が戦闘服の中を満たし、淀んだ湿気と汗を押し流していく。
 腕を伸ばせば摘まみ取れそうな星々に目を細める。きっと大惨事となった今夜と同じく、苦しみ死んでいく人間など露ほども顧みず、彼らは永劫美しく煌めき続けるのだろう。
 一寸の夢想の後、戦闘服の水を抜きあぜに伏せた。腰を落とすと、続けて強烈な睡魔が襲ってきた。時折寄る虫の鬱陶しい羽音もカエルの鳴き声も水路の水音も、眠気を振り払うには至らない。目の前に広がるはずの水田は暗幕を垂らしたかのように物体の隆起を感じさせず、ただ数分ごとの手信号のやり取りだけが、自分がまだ意識を失っていないことを教えてくれた。
 初めに動いたのはやはり飯塚だった。
 何度目かも判らぬほど混濁した意識で手信号を交換しようとした時、交信先の飯塚が消えているのに気付いた。周辺を見回すが顔を上げることもできず、取り急ぎ武藤に『開始』を伝える。青臭いあぜに這いつくばり、気取られぬほどの遅さで頭を上げ周囲を見る。
 相変わらず周囲は暗い。中途半端に設置された照明が目に入るせいで上手く夜目が効かない。動作を抑え周辺視野まで気を配り、目に入る動体を見逃さぬよう意識を集中させる。
 一瞬、照明の範囲に飯塚が侵入した。足がキャタピラになったのかと思う程、全く上下動せず滑るように水田の水面を進んでいく。だが、目を凝視しても飯塚が進む先には何も捉えられない。
 夜空を見上げる。
 変わらぬ満天の星、そのいくつかに動く星が見えた。三つ、四つ。見る間に数が増え、プロペラが空気を切り裂く振動が音として耳に届き始める。見る間にヘリのサーチが目視できるようになるが、その強烈な照明もこちらの水田を照らすには至っていない。
 ゆっくりと、遠くのあぜがわずかに盛り上がった。
 その様子を見ていなかったら見逃すほどの小さな変化、だがよく見ようとしてもうまく凝視できない。その盛り上がりの回りを沢山の飛翔体が飛び回り、光線を遮っているのだ。
 身体を伏せ息を殺す、飯塚はまだ見えない。水田全体に目を凝らしギャオスの飛行範囲を捉えたいが、強烈な風に西洋凧が煽られたときのような不気味な風切り音が遠く近く聞こえるばかりで、まるで位置が分からない。小銃を握りしめる。寒いとすら思い始めていた皮膚を、脂汗が撫で始めた。
 五〇メートルほど先に、突然セイリュウの姿を捉えた。予想外の近さに心臓が握られたようになる。相変わらず視界は悪く、瞬きしてしまえば見失いそうな暗さだ。目を切ることもできず、武藤がさっきまでいた方向に向かって『目視』を送る。
 セイリュウはあぜ道を左右に切り替えつつ、時々立ち止まっては数メートル走る動きを繰り返している。もう二〇メートルも進むと罠がある地点だ。周りを護るギャオスの羽音はもはや頭上にあるほどに感じられる。
 暗闇に、突然飯塚の姿を捉えた。セイリュウの進行方向先の罠の近く、まるで獲物を狙うサギのように微動だにせず、水面に低く伏せて擲弾を構えている。
 十メートル。セイリュウは周囲を伺いつつも、罠の方向へ進んでいく。
 五メートル。心臓が眼底に嵌っているかの如く感じられる。
 一メートル。セイリュウは罠の直前に立つ。農道のトラバサミに斜めから近づき少し嗅ぐ。見逃してしまうほどゆっくりと飯塚の影がにじり寄る。擲弾の射程まで、後数十センチ――
 ――パシン、バシュン
 ククリ罠が発動する乾いた金属音、直後に擲弾発射機の閃光と破裂音。
 セイリュウがククリに右後脚を取られるのがハッキリと見えた。続けざまネットがセイリュウの身体を覆う。飯塚がヘッドライトを点け、巨大な銀色の獣を照らし出す。だが、その様は異様だった。
 セイリュウは動かなかった。自らの脚を見て、続けて鬱陶しそうに飯塚のほうに顔を向けた。飯塚もその異変にすぐに気づいた、愛銃がスッとセイリュウに向く――
 ――タン、タタン!
「援護ォオオ!」
 叫びながらパジェロに飛び乗ると、震える手でキーを捻って罠に突進する。一瞬ハイビームで照らされたセイリュウは、ククリのワイヤーを既に引きちぎり、ネットに覆われたまま歩き始めていた。
 動物は本来、目の前に大きなものが飛び掛かってくると本能的にそれを避けようとしたり、それから身を護ろうと抵抗したりする。そうした本能的なパニック動作を利用してネットを絡め、相手を制圧するのがネットランチャーの原理だ。
 だが、セイリュウは動かなかった。まるで擲弾の実技講習で誤射されたときの対処実演を見ているようだった。動けば致命的なのをなぜ理解している、可動域を確認しながら落ち着いて行動すれば移動能力が落ちないことをなぜ知っている!
 突如、セイリュウの横からクマのような生物が躍りかかった。色褪せた迷彩、少し猫背の体型、硬く握り込まれたナイフ。
「飯塚さん!」
 踏みつけられたヘビのようにセイリュウの身体が踊り狂い、あっという間に飯塚の身体を巻き取った。セイリュウは身体を敵に巻きつけつつもズルズルとその場を離れようとする。
 重い金属音があり、直後に絶叫が聞こえた。セイリュウが勢いをつけて身を倒し身体を回すと、農道の中央に埋めたトラバサミが地中から浮き上がった。トラバサミの錆びた歯はセイリュウの体を覆うネットを絡ませた飯塚の右のブーツを脚ごと食らいついていた。あっという間に鎖が伸び切り、根付していた木が激しい亀裂音とともに大きく傾ぐ。
 車外に飛び出る。夢中でウインチを掴むと、倒れ込んできた木に飛び掛かって根付のワイヤーとウインチをつないだ。起き上がりながら小銃を構えセイリュウを狙うが、飛び交うギャオスに阻まれ照準が定まらない。
「ダイヂョウ、モドレェ!」
 気管が潰れているのか、もはや声と言えぬような恐ろしい叫びが聞こえてきた。小型のギャオスが生ごみに集るカラスのように飯塚を啄み始める。
「グルマダ、ヒゲェ!」
 小銃の射角が取れなかったから、一番合理的な行動だったから、セイリュウを捕らえるのが彼の使命だったから、それが彼の本望だったから。
 どれも嘘だ。
 あんな風に死にたくない、ギャオスに喰われて死にたくない。
 あの時確かにそう思った自分は、まだ助かるかもしれなかった飯塚を見捨ててパジェロに戻った。ギアをバックに入れて思いっきりアクセルを踏み込むと、窓ガラスに衝突してくるギャオスに向けて夢中で小銃を乱射した。車内で撃ちまくったせいであっという間に鼓膜が機能しなくなり高熱の薬きょうが辺りを跳ねまわったが、どうしてか人差し指は張り付いたように引き金を離さず、弾切れの後は体中の震えが止まらなかった。
 最期、飯塚はなにか叫んでいた。「なんて綺麗な眼だ」と言った気がしたが、どうしても定かではない。
 飯塚が飛び掛かってから約二分後、周辺はヘリのサーチライトで明るく照らされ、事態が決着した。静かな田園の中心には美しい銀の鱗が散乱し、その中心では一人の老隊員と、頸動脈を切断されて失血した巨獣が絡み合って倒れ、二つの躯のいたるところには、ワイヤー製のネットが硬く冷たく食い込んでいた。