にらみ合いは数秒だった気も、数分くらいだった気もする。
 西日を正面に受けて大股開きしてる松尾と、それをコンテナの外からポカーンと見上げる俺ら。
 先に口を開いたのは松尾だった。開口一番
「お、おm、オェェエエ」
 一晩過ごすはずだったコンテナ中を、胃酸とオーバードーズした風邪薬と栄養ドリンクとおにぎりに、少々のフラペチーノを加えた臭いで充満させやがった。もうこの時点で俺の印象は最低だった。

 改めて出てきた第一声もひでぇもんだった。最初はテンが切り出した。
「キミ大丈夫だった?目が覚めてよかったよ」
「ハァ?大丈夫?迷惑以外の何物でもねぇよ、下心丸出しで余計なことしてんなカスども」
「え……?あぁ、とにかく目が覚めてよかったぜ。洞窟で倒れてたから」
「こっちは自殺しに行ってんだよ、脳みそ足んなくて判んなかったかよ?気持ちわりい正義感出して余計なことしてんじゃねぇよ」

 陽キャ日本選抜みたいなテンも、あいさつ代わりの口撃が予想外に口汚いせいで言葉が詰まった。
 ボブヘア、耳ピアス、大きめのTシャツにショートパンツ、駅前でよく見る高校生の格好だ。でも見た目としゃべる内容が全く釣り合わない。蘇生してここまで運んだテンに「ありがとう」とか「迷惑かけた」くらい言うかと思ってたけど、そんなものは微塵もない。性格も見事に最悪だ。そのせいでついカチンときて、止めときゃいいのに口が出ちまった。

「お前よ、いい加減にしろよ」
「そりゃこっちのセリフだろ、何様のつもりだよ変態が」
「こっちはよ、お前に時間と労力使ったんだぞ。それに対してなんか言えねぇのかよ?」
「こっちは勝手に身体触られてんだぞ、痴漢の努力に感謝いたしますってか?エロ動画見過ぎで脳みそスカスカかよ」
 いちいちムカつく奴だ、ブン殴りたい衝動を抑えるのに精いっぱいだ。

「まあまあセイ、いいじゃんか。あのさ、確かに触ったのは悪かったよ、ゴメンな。でもさ、ここで一命をとりとめたってのは運命だったかもしんないぜ」
「……はぁ?」
「キミがさ、どんな辛い思いしたかわかんねぇけど、辛い思いしてたんだってのは判ったっていうか。せっかく会ったんだし、死ぬ前に悩みとか相談するってのもいいんじゃね?喋るだけでもちょっと変わるもんだぜ」
「どの口がほざいてんだよ。どうせヤクでラリった女いねぇかなとか、犯罪やり放題とか期待してっからあんな所ウロついてんだろ?ちげぇか?そんなチンパン以下に人生相談だぁ?てめぇ頭にウジでも湧いてんのかよ」
「でも、でもよ、死んだらそこまでじゃん?世の中生きたくても生きらんねぇ人だっているし。なんか目標持ったり、悔しさバネに生きてくってのも良いじゃねぇか」
「おめえらの本心言ってやろうか、『あーあ、めんどくさい女拾ったなぁ、助けたお礼にイイ関係になったらラッキーだったのになー。一応そのまま死なれちゃうと後味悪いし、俺は引き止めましたよってアピっとくか』ってとこだろ。無理すんなって」

 テンの口が遂に止まった。
 悔しいけど、クソ女の言う通りだ。二人ともこんなカスみたいな奴助けて人生棒に振るとか終わってる、何の救いもねぇ。あと一言何か言ってきたら本当にぶん殴るかもしれない。でも、そうしたらそれこそクソ女の思うつぼだ。
「とりあえず、中入ろう」
 俺はテンにだけ声をかけて、クソ女の方を見ないようにコンテナの奥に進んだ。とにかく距離を取りたかった、関わりたくない。
「あーあ、めんどくさいの拾っちゃったな、とか思ってんだろ?どうすんの?始末した方がいいんじゃない?」

 奥の方は多少臭いがマシだけど、クソな気分に変わりはない。テンも露骨に女の方を睨んでる。とにかくこのクソをどうにかしないと、いっそのこと洞窟に帰ってもらった方がいいんじゃないか。

 でもクソ女の次の一言で、事態はもっとヤバいことになった。
「あ♪そぉーだ、いいこと考えちゃった♪」
 奥に二人が座り込んだ瞬間、クソ女は手を叩いて笑った。わざとらしく笑う感じがムカついてしょうがない。
「お前らウザイからぁ、殺しちゃおっと」
 そう言って、コンテナの取っ手に手をかけた。テンはともかく俺はすぐに気づいた。それはマズイ、非常にマズイ!
「お前らがなんか喋ったりそこから動いたりしたら、ココ開けて叫ぶから♪」
 ニヤニヤ瞳孔が開いた笑いを絶やさずしゃべる。
「何にもしなくても叫んじゃおっかなぁ、おまえら死にたくないんだろ?最期にクズ二人が未練がましく死ぬの見んのめっちゃ楽しそう!うっわ、妄想はかどるぅー、ね?そうでしょ?」


 これが二時間ぐらい前の話。その時から俺たちは、会話はもちろん下手に動くこともできてない。

 唯一できるのはシミュレーションだった。
 目標はまず二人が死なずに今晩を乗り切ること、それに欲を言えば、このクソ女の望みもひねり潰してやりたい。死ぬこともできないで無様な負け犬人生を少しでも長く味わってほしい。
 そのためにまず、とにかくあの扉を開けさせないことだ。クソ女はさっきまで睡眠薬オーバードーズしてたんだし、絶対俺たちよりコンディションは悪い。多分眠気が来たり気分が悪くなったりするから、その瞬間に一気に駆けよって制圧しよう。スマホのライト当てて目くらましして、ぶん殴ってでも口をこじ開けて布を詰める。テンも動きだせば流れは判るだろう。

 でも結局、このシミュレーションを実行にうつす瞬間は来なかった。その後暫くして外からサイレンが聞こえ始めた。なんてこった、こんな早い時間から注意報かよ!
「お、今日ついてるぅ♪外のギャオス多いんじゃない?」
 ウトウトしてたかもしれないクソ女も目覚めちまった。コイツ拾ってからマジツイてねぇ。テンはずっと女を睨んでるのかと思ったら、いつの間にか腕ついたまま寝てたらしい。緊張感皆無かよ。
「そこのヒョロガリどうすんの?童貞のまま死んじゃうよー?」
「てめぇ、いい加減に――」

 でも口応えしたつもりの言葉は、一段音量の高くなったサイレンの連続音にかき消された。
「おい待て。テン起きろ」
 女はこの際どうでもいい。スマホを見る、八時二九分か。やっぱりまだ早すぎる。
「ヘンだぞテン、注意報から警報まで十分もかかってない。だいたい警報が八時台に鳴るなんて」
「話そらしてんじゃねえぞヒョロガリ!」
 無視して構わずスマホをいじる。地元のアラート、ニュース速報、SNS配信、時間が早いことを除けばいつも通りだ。いつの間にか他の二人もスマホをいじりだした。
 ――ブルルルル
 外で聞きなれた車の音がし始めた。なんだ、コガタか?なんで夜間に自衛隊員が動いてんだ。枝が折れるような音もする、演習か?
 外の様子が探りたくてコンテナに耳を当てた。しばらく無音が続いた後、いきなり
 ――ターン、タンタン!
「おいテン、外行くぞ!」
 そう叫ぶと女を押しのけて入口を開けて、コンテナの外壁が震えるようなサイレンの大音響の中を高速道の側壁まで走った。
 今のは小銃の発砲音だ、さんざん訓練してるのをいつも聞いてるから間違いない。しかも機関砲の射撃音が聞こえてこない、絶対おかしい!

 双眼鏡は暗いから使い物にならなかった。なんとか目を凝らしてみると
「あ、あれ!」テンが指さしながら懐中電灯を照らし……ってオイ!
「バカバカ、消せよそれ!」
「だってよく見えねぇじゃん」
「俺らが見られてどうすんだよ!バレちまうだろうが」
 基地のサーチが果樹園の中を照らしてる。揺れる赤いテールライト、コガタが農地の間を爆走する。しかも隊員が窓から半身乗り出して射撃しようとしてる。映画かよ、スゲェ!
 でも、その標的は最初なんだかよくわからなかった。大きいけど形が無くて真っ黒い、煙みたいな、影みたいな……。
「……おい、あれ、全部ギャオスか?」
 テンも同時に気付いたらしい、お互い向き合った顔色が真っ青だ。

「オレ、帰んなきゃ。ばあちゃんとか助けなきゃ」
「はぁ?馬鹿言うな、あんなにギャオスが街中向かってんだぞ。避難所隠れれば平気なんだし、わざわざお前が行く意味ねぇじゃん」
 説得してコンテナに一度は戻ったけど、しばらくすると聞いたことのないアラート音がスマホから飛び出した。
 ――第一避難警報発令
 なんだよこれ、こんなの訓練でしか見たことないぞ。

 ギャオスはあんまり頭が良くない。あいつらにとって『見えない・聞こえない・臭わない』=『存在しない』だ。だから普通は身を隠す第二避難でいい。
 第一避難はもっとヤバい時だ。昔日本でバカでかい怪獣どもが三回大暴れしたことがあった。そんなデッカイ奴らが大暴れしても平気なように造られた特別製の施設に逃げるのが第一次避難だ。

 これを五分ぐらいかけて説明したら、テンはまたソワソワしながら帰ると言い出して、おまけに止めときゃいいのにクソ女をまた説得しはじめた。
「キミも行こう、一緒に街に戻ろう」
 あーもう何言ってんだよ、こんな女ほっとけばいいのに。
「お前マジ日本語わかんねぇのな?あたしより早めに死んだほうがいいんじゃね?今までどうやって生きてきたんだよ」
「死ぬってさ、やっぱねぇだろ。考え直せよ、大事な人とかやりたいこととかあんだろ、おかしいって。あきらめんなって!」
「おめぇに何が分かんだよ!もう狂っちまってんだよ!何回も言わせんじゃねぇ!お前の自己満でゴミみてぇな人生延長してられっかよ!」

 クソッ、これじゃ完全に振り出しだ。
 俺だって家になんか戻りたくない。家族親戚なんか一ミリも関わりたくないし、このまま本気で戸籍を消したいくらいだ。
 でも死ぬのはもっとごめんだ。俺は死にたくねぇ、面倒にも巻き込まれたくねぇ!

「あのさ」
 だからなんでか、会話に口を挟んじまった。
「俺とテンは、今から街に戻ろうかと思ってる……」
 言葉が続かない、整理してないんだ。
「早く喋れよ、時間の無駄」
「あの、そのさ、ついてきて欲しいんだわ、人手が要るんだわ」
 あー俺マジ何言ってんだ。喋った言葉が自分でわかってない。でも言っちまったもんはしかたねぇ、何かそれっぽい理屈考えろ!
「つまりな、えっと、お前に手伝って欲しいんだわ……、あの、コレ、これ使って」
 そうだ、ととっさにスマホを差し出す。
「俺は、テンと街に戻る。テンは家に帰る。俺も家を守りに行く」
 言いたくもねぇウソだけど、とにかくこの一瞬やり過ごせればいい!
「でも、さっき見たんだ。ギャオスが街中に入っていってる。メッチャ数が多い。俺達、最悪死ぬかも。でも、なんにも残んねぇって、俺イヤなんだよ」
 死ぬ気なんて微塵もねぇけどな。でもさっきまで条件反射で口答えしてたクソ女は、ここにきて初めて黙って他人の話を聞いた。

「まずはテンの家に行く。死ぬかもだけど、誰も知らないで死ぬのはイヤだ。誰かに覚えておいて、何かを遺しときたい。お前も死のうとしたんだし、何ていうかさ、こういうの、分かるだろ」
 死にてぇって本気で考える奴の気持なんか考えたことねぇけど、こんな感じならちょっとは伝わるだろ。
「だから、お前が記録してくれ。俺たちのこと」
 そう言って、もう一度スマホを差し出した。

 この女はどうしようもなく勝ち気だ。
 だから口喧嘩で言い負かすなんてできっこないし、他人に手を差し伸べられたり誰かに理解されたりするのも嫌なんだ。コイツに説得はムリだ。
 でも、さっきコンテナの出口で見せた攻撃性とか残虐嗜好もきっと本物だ。目の前でウザいヒョロガリが死ぬのを見られるかもしれないのは、きっとコイツにとっては面白そうな話だ。役割を与えて動かす、これならコイツは動く!
「ここにいるより、まだその方がいいだろ」
 もう一歩前に出た、頼むよ、受け取ってくれ!

 でも、女は後ろに下がってポケットに手を突っ込んだ。終わった、と思った次の瞬間
「……おめぇのなんて臭くて触れるかよ」
 ポケットから自分のスマホを取り出した。

「よっしゃ、よろしく!オレ大森天、キミのことは何て呼べばいいかな?」
「……松尾」
 よーし。これで女の方は何とかなったけど、街までの移動は歩く以外ない。夜間に生身で歩くなんてそれこそ自殺行為だ。コンテナの入り口を細く開けて外を覗いてると、テンが例のドヤ顔を浮かべながら左肩を叩いてきた。
「オレに任せな、このトラックなら街まであっという間だぜ」
「え?お前、コレ動かせんの?鍵ないじゃん」
「あそこで練習したからな、バッテリー上がってなかったら五分でエンジン掛けてやっから」
 なんてこった、いつの間にか車泥棒スキルの育成に加担してたのか。

 エンジンは二分でかかった。初めて乗るトラックの助手席は、なんだか眠くなる乗り心地だった。