歴史のない日本人
――敗北者たちの姿見――
1868~1945
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第56話
大東亜共栄圏
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暗号
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「なぁ松岡よ、ドイツには行かないのか?
ヒトラーには会わないのか?
何も用事は無いのか?」
いわば同盟の仲間である。
行かないのは不思議であり、吉田には何か不自然に感じられた。
松岡は首を振った。
「もちろん行くさ。
――ただ、挨拶だけではない。
大事な指令が与えられている」
吉田はそれを聞いて話題を変えようとした。
だが、松岡はそれにかまわずこう言うのだった。
「ヒトラーに三国同盟離脱を告げに行く!」
「エエッ!?」
思わず仰天する吉田であった。
何を隠そう、三国同盟に一番熱意を見せていたのはこの松岡であった。
彼はそれにさらにソ連を加えてアメリカに当たろうとしてきた。
一時はこの壮大な構想が波に乗るかに思えたのだが…
なんと今度はそれをぶち壊すというのである。
頭を抱えている吉田に、松岡はこともなげにそしてさらにこう続けるのだっ
た。
「それは暗号になっていてな、またそれはアメリカ攻撃の合図でもあることを
告げに行くのだ。
その発表は記者を集めて公式にそして大々的に行われるだろう。
そしてそれが世界に伝わって間もなく、日本はアメリカを一斉に攻撃し始め
るというわけだ。
そのことをヒトラーに伝えに行く。
そして彼に、絶対にドイツはアメリカに宣戦布告をしてはいけないと警告し
てくる」
「日本は単独で戦うと…」
吉田は唸った。
「日本勝利のカギは、あくまでルーズベルトを何もできないダルマ状態にして
おくことだからな。
ヒトラーが宣戦布告しては何もかも水の泡だ。
第一ドイツにとっても命取りになる」
「そうすれば、ルーズベルトは宣戦布告権は使えない…」
「そうだ。
ヒトラーは最初は怒るだろうがな。
それが分かれば日本が目指すものが理解できるだろうし、むしろ喜んで受け
入れることだろう。
別に協力関係が切れるわけではない」
「なるほどな。
実際の戦闘には、そもそも三国同盟は全く役には立たんしな。
それにこれは我々にも大事なことだ。
それは我々在外公館に勤務するものにとっても合図(暗号)となるわけだか
らな。
堂々と公開された暗号だ、なんと世界初のな!」
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「あの首相は、暗号とか無線通信が嫌いなのだ。
いやそれを否定しているわけではない。
それで秘密が守られるなどは全く考えていないということだ。
で、こういうことになる。
つまり基本的な情報はみなで共有しておいて、後は絶たれた情報環境の中で
各自が判断して動けというわけだ。
それでもいろいろな情報は入ってくるからな。
間接的にな。
敵国の新聞やラジオニュースなどからもな…
基本的な情報を活かしてそれを使いこなし上手くやれということだろうな。
現に、首相はこうして我々が合うことは計算済みだ。
だから機密を君に話すことを首相は許可した。
もちろん誰にもかにもではないぞ。
これらは必要に応じて下に、周りに下ろしていくべきものだろうな。
慎重にだ」
吉田、
「これは一種の情報公開だな。
しかも未来を見通しての…
だから、これらを知っておけば我々も日本のいく道がある程度見通せる」
「我々は織田首相の戦略に沿って動いているのだ。
というか動かされているのだ。
それを知れば当然日本の近未来が見えるわけだ。
日本はどう動くかが…」
松岡の指摘に吉田も頷いた。
「我々も何をしなければならないかが明瞭になる」
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松岡が吉田の杯に酒を注ぎ始めた。
空にするとまたすぐに注ぐ。
三杯目を注ごうとしたところで、吉田はそれを手で制した。
「どうしたんだ松岡?」
と、吉田は松岡に呼び掛けた。
「ん?
アッ!?――いや、済まん済まん…
いや、先ほど聞きそびれた支那撤兵のことが思い出されたのさ。
もしそれがうまくいけば日本は大助かりなのだがなぁ、と…
――で、結局どうなったんだ」
と、松岡。
吉田は首を振った。
「ダメだったのか?」
今度は松岡がガッカリした顔になった。
それを見て吉田は慌てて訂正した。
「――分からない、と言ったのだ。
何が起こるか、それは今は待つほかない」
松岡は解せぬ顔であった。
「蒋介石には会ったのだろう?」
吉田はコクンと頷いた
(蒋介石はいったいどう反応したのか?
日本は彼に何をなんと伝えたのか?)
興味が強まったのであろう。
「なぁ、吉田、詳しく話してくれぬか?」
そういう松岡に吉田はまたコクンと頷いた…
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