昔、天国の入口と地獄の入口の夢を別々に観たコトがありました。
別に看板が立てられていた訳ではないので証拠はないのですが
低い丘が重なる草原を歩いていると爽やかな風にそよがれ金属
光沢の花びらを持つ色とりどり植物が一面に展開しキラキラ陽射し
を反射してこの世のモノとは思えない言葉では言い表せない景色に
圧倒され進もうとしても今度は眩しすぎてそれ以上耐えられません。

その時は何となくこの先は天界に続くのかな?と納得し戻りました。
地獄の入口は人が無数に登場します。原発の排気筒の様な巨大な
構造物の周囲に揃いの作業服を着た無数の人がしがみ付き頂上に
とても恰幅の良い初老の品のある婦人が全ての責任を私が取ります
と言って身投げします。筒の周囲を取り巻く底なしの穴の奥の煮え
たぎる溶岩が後に続く作業服の眷属を砂山の崩れる如く飲み込む。

余りにショッキングな光景に胸が詰まり、たった一人の決心がかくも
大勢の人々を巻き込むのかと無念さと冷酷さを学ばされた気分です。
これは夢の話ですが天界って本当に在るのでしょうか?そして何処に?
あの世は波動の非物質世界で過去も未来も同時に存在し寿命も無く
苦しみも楽しみも意味の無い世界なのであの世なのです。だから天界も
地獄界もあの世には有りません。あの世は輪廻転生を解脱した世界。

すると天国も地獄も含む六道はこの世に在るコトになります。天界の
神々にも寿命が有ると言われます。晴れた夜空に天を見上げれば
キラキラと星星が瞬き満天の空は心が吸い込まれそうな存在感です
でも実際光り輝く恒星は核融合で輝いて、おいそれと近づけませんし
そこに往く過程は真空の気の遠くなる様な遠い空間で辿り着く術が
有りません。そして神々と同じく数十億年とはいえ寿命を持つのです

地獄界にも寿命が有ります。血の池地獄に放り込まれ浮かんでも
鬼が突き沈めます、針山地獄に追い立てられたりノコギリやハンマー
でギコギコぺったんぺったんケチョンケチョンのバラバラにされます
でも暫くすると又復活し同じ苦しみが繰り返され、とても短い寿命を
永遠と経験します。死と生の何時終わるともない苦しみの連続のコト
が地獄ならこれも日々ソノモノを模した生き方の選択なのでしょう!

開けても暮れても戦い殺し合う世界が阿修羅界。世界を見渡せば
必ず何処かでやってますし終っても又何処かで勃発し無くなりません
自分さえ良ければ他人は関係ないと強欲に塗れ奪い合いの世界が
餓鬼界。少し周囲を見渡すだけで見えてしまいます。周囲どころか
自分の中にさえ紛れています。弱肉強食の畜生界も何処にでもあり
やはり自分の中にも芽生えます。でも私達は人間界にすくう人間。

人間界に在っても神仏の代わりに奉仕の精神を持てるし、悪魔に
魂を売り自ら悪行を重ねるコトも出来る、気に入らないと言って他人に
暴力を振るうことも可能、欲に流され楽しみを追求しクスリに手を出し
奪い怠惰を選ぶコトもやってしまう、上に諂いやられたコトを後進にやり
返す動物の様に持てる力を行使する。全て人間の仕業!でも私達は
人間としての生き方を全うしてこそ人間なのであり、その他は人でなし

全うすれば何処からでも解脱は可能だし、それに縛られないコトも可能
ただ急に高みを望んでも精神も身体も耐えられないし、低みに落ちれば
否応なしに苦痛の連続が待ち構える、でも全ては選択の繰り返しの結果
魂を鍛えるコトが出来るなら地獄の業火も涼しく感じられるモノなのです。
物質に因われない生き方を選択すれば徐々に精神の適応範囲が拡がり
ちょっとやそっとのコトで動じるコトのない命を体験出来る様になります。

人間は人間らしく今、目の前に展開する人間界を経験しましょう!・・・・・