坐禅をしていた修行僧がどうすれば雑念に邪魔されず集中出来るでしょうか?と
師に方法を問いました、無念無想を一心にそれだけを考え続けなさい、そのうち
その考えも捨て去るコトが出来れば、その境地に達し、次にその状態を維持しなさい
無念無想が難しければ、頭の中空っぽ~頭の中空っぽと想い続け、最後にその想い
も忘れるコトが出来れば、それが頭の中空っぽの状態であると説いたそうです。

 頭の中を空にするのであり、頭の中を無にするのではありません、無は何も無い
状態なので何も生まれないし何も消え去りません、だから頭の中の念や想いは無には
なれないのです。空は空間の空であり、凪の水面の様に穏やかな状態でのコトです、
風に吹かれれば波立ち荒れるコトもあれば鎮まるコトもあるのです。夜空の向こうで
星が生まれたり消滅したりする様に人の頭の中で思念や想いが生じては滅しています。

 人は観えない未来に対する不安や恐れ、自分以外のモノと自分自身に対する疑い、
そして過ぎ去ったコトに対する後悔や脅迫観念などに常日頃苛まれたりマイナスの
観念に圧し潰され苦しみます、そんな苦しみから遁れるには、マイナスから一挙に
プラスに思考を切り替えれば善いのですが、そうそう簡単には難しい処があります
そんな時、一度頭の中をニュートラル=空っぽな状態に鎮め、維持出来たらほんの
少しからでも楽しくなる嬉しくなるコトを想い浮かべます。そして維持して大きな
喜びを迎い入れるのです。

 頭の中で善悪の想いだけが入れ替わり苦しみを喜びに裏返すコトが可能なのです。
別に遠くまで出張に行かなくても良いし、極限まで苦しみに耐える必要もありません
頭の中が空っぽになった時点で不思議と凝り固まった想い込みが解れ、客観的視点で
苦しみの原因に向き合えたりします、それまで視えなかったと言うより見たく無かったモノにも冷静な判断が出来るようになります。

 自分って自分が想いたいほど内も外も清らかであり得ないし、彼や彼女も穢れだけ
では無いのです、嫌な処に想いを向ければ、そんな処が増殖してもっと嫌な思いを
するコトになりますし、好きまでとは言えないけれどせめて嫌でない箇所を見付ける
コトが出来れば、マイナスの波動を少しでも鎮める方向になります。出来るコトは
自分の想い方をジャブジャブと洗って少しでも穢れを落とし清潔を保つ位なのです、
でも余り放って置くと頑固な汚れになり、落としにくく成ってしまいます。

 善は急げです、でも心配は要りません、どうせ生きている限り完璧にはなりませんし、また汚れるのです、汚れては洗い、穢れたら清めるを繰り返すコトが空の状態を保つコトに繋がります、空っぽを維持できれば喜びの波動を起こすコトも出来ますし、嫌だった彼や彼女への観方も変ってくるようになります・・・

 オセロの石の黒い面と白い面は表裏一体です、裏返す為には中間の状態が介在します黒面と白面が2次元なら中間の状態は3次元なのです、人の世の出来事も高次元を介して裏返すコトが出来るのかもしれません・・・・・