よく自分の仕事を上手に補佐したり、代わりにこなしてくれる部下のコトを右腕や左腕と表現したりします。チームの上に立つモノからは頼りになる存在です。チームが組織になれば、一人での采配が困難になってきます。上に立つヒトは目前のワークが本当に自分が処理する必要があるのか即断し部下に任せられるコトは積極的に振り分けて、自らは自分しか出来ないコトを手掛けていかなければ組織全体としての目的を果たせなくなり、事業が停滞してしまうのです。でもなかなか部下を自分なりに教育しても右腕や左腕と呼べるまでは育ってくれません

 ヒトは誰であれ違う環境で育ち固有の価値観を持ちます。自分と同じでは有り得ないのです。しかしヒトには出会いがあります、偶然に何故か馬が合い、まるで自分の欠点を埋めてくれる様なヒトに巡り合うコトがあるのです。自分の為すべきコトが大自然の動きに合致するなら、そんな出会いが引き寄せられるのかも知れません。そうして出会う人間関係はお互いに同じ感覚を感じ、互いに感謝しながら共同作業の役割分担をこなして行ける様になります。まさしく自分の右腕や左腕の如く阿吽の呼吸で自然に連動します。そんな人間関係が同じ時間と空間で始まるなら、それは他人ではなく、広義の意味として自分の片割れと言えます。

 私も未だ旅の途中で、ヒトを語ることはおこがましいのですが、ヒトがヒトとして生を受けたなら、自分しか歩めない道を自分なりの価値観で誰に強要されたモノではない自分の生き方で人生の理由を全うできるならそれ以上の幸せはありません。そして素晴らしい出会いがあったならお互いに感謝し、この世界にほんの少しでも貢献出来たらと思います。もしそんな考えが巡るなら、互いに分担された決して苦ではないワークを黙々とこなし得るのです。そして自分達が在る次元を高めるコトが出来たなら、決して一人では出来ないワークが完成し生まれて出会った意味を果たせます。そして次世代にバトンタッチできるのです・・・