朝のルーティンであるウォーキングをしていると、少し昇った太陽が雲の隙間から
光条を放射状に地上に降ろしている景色に出くわすコトがあります。肌寒い季節の
冷えた空気に帽子とマスクで覆えない露出部がピシッと打たれながらも、ダイナミック
な自然の造景に感動出来ます、清少納言風に”いとおかし”が眼前に拡がります。
雲が無ければ普通の天気の良い青空で、空が雲に覆われていたら普通の曇り空です。
雨が降って晴れ上がれば虹が現れるコトもあるでしょう、ある条件が揃えば自然は
一つとして同じじゃない迫力の絵画を無料で空のキャンパスに描いてくれます。
光条は太陽の光が強く届き、それ以外の部分は雲に弱められて地上に届くコトで
美しいコントラストを観せてくれます。太陽が織り成すそんな姿に、職業柄おそらく良く
出くわしたであろう太陽をトーテムとする日本の昔の海軍や現在の海自が自分達の
旗印に掲げるコトは至極納得できます。普段は気にも留めないのですが、時たま
そんなタイミングに出くわせば、人は感動出来ますし、自分もそんな絵画のどこかに
同時に存在するコトに気付きまた感動します、大自然と人はやはり一体なのです。
大自然は瞬間瞬間変化し一箇所に留まるコトは在りません、極稀れに普段とは
大きく異なる現象も見せてくれます。太陽に月が重なる日食や、月に地球の影が
重なる月食、何年前だったでしょうか太陽の表面を金星が通過するというコトがあり、
それを観測すべく小さな双眼鏡にサングラス(太陽観察用)が予めセットされたモノが
売っていたので思わず買ってしまい、その時たまたま同行していた客にもみせてあげた
経験があります、双眼鏡をのぞくと太陽に丸い小さなほくろが出来てみたいに見え
普通金星を観測する時の明星と呼ばれる明るい三日月形や半月形でない、太陽を
バックに真っ黒な珍しい丸い金星を見ることが出来ました。
だからどうしたと言われればそれまでなのですが、明るい金星ももっと明るい太陽を
バックにすれば真っ黒になるというところが”いとおかしく”、月食も満月の時にしか
起こりませんし、反対に日食は新月の時にしか在り得ません、昔の人はそんな滅多と無い
現象に出くわしたり彗星や超新星爆発を観測して、ある人は恐れ慄き、ある人は天や
神様の意思を量るべく色んな理由を考えたかも知れません。
これらの現象は現在では計算で割り出せる周期的な現象であるコトが分かっていますので
準備して観測できたりもします、ただ巨大隕石が地球に落ちてきたり、ベテルギウスが何時
超新星爆発を起こすかは現在のスーパーコンピューターを駆使しても予測できません。
今流行のパンでミックとか太陽フレアが地球の方角に吹き込んでくるとかの天変地異の類は
全く確立の問題で何時かはそうなるが何時かは判らない、制御の出来ないモノなのです。
コントロール出来ないものに対してジタバタしても始まらないのでそれはそれで大自然の
セレモニーだと自分も大自然の一部だと認識し、その時はその時と割り切り現在進行形の
自分を有意義に生きていくコトのほうが合理的ですし、大自然に分けて貰ったほんのささやかな人として命の時間を無駄に消費するのを避けるコトにもなります、それに自分の生き方って
ある程度自分で制御できますし・・どうせなら楽しい方が・・・