人は寝ても覚めてもいろんなコトを考えています。
仕事や勉強に集中している時でも想いもよらないイメージがよぎり
集中を妨げられます。
眠っている時でも脳は活動しているので支離滅裂な思考が交錯し、
精神的にストレスが溜まっている場合には夢という映像に転じて
無理やり結論付けたり、中途半端に終わったりし、そして忘れさせます
まるで深い水の底から湧き出る泡の如く、ゆらゆらと浮び上がりながら
表面まで到すると弾けて消えていきます、でもほんの数個消えにくく
長い間水中に留まる泡があります、色も形も大きさもお気に入りで
手放したくなかったり、大嫌いで手放したいけれど離れないという
想い込みで大事にしているモノがあります
我です、人は精神的にも身体的にも日々代謝します。全く我に固執
するコトがなければ、私と貴方は存在しません、逆に我がある為に社会が
構成され文化も発展してきたと言えるところも有ります、でも時として我は
他人の我と衝突し問題を起こします、また自分の中の分かれた我と問題を
起こすコトもあります。
2つの我の衝突は分裂するか、どちらか一方に勝ち負けがつき合体した
我となるかのどちらかです、現実は勝ったほうのイメージに近いビジョンとなり
負けたほうのビジョンは現実世界の視えない空間に追いやられ、非現実界の
情報となります、情報は波の振動のようなモノで仮に情報波と名付けます。
我が存在する領域は非現実界と重なっています、だから我を手放すと
非現実界と繋がるコトが出来るようになります、非現実界からもたらされる
情報波に思考を巡らせば我によって行き詰った現実を修復したり、消し去る
コトのヒントが満載です、ただ思考を巡らすと言っても我の想念の中を巡るの
ではなく、我を消して、観たり、聞いたりするのです、我を忘れ去ると自然と
濁った水が澄んで底深く理解できるようになり、我に足りないモノや本当に
必要なメッセージが届けられてきます。
我は善でも悪でもありません、ただ自分の中で勝ってしまった意識的存在
と言うだけのモノで全然絶対的なモノではないのです、負けたからと言って
やはり善でも悪でもないのです、その情報波の中には現代人に不可欠な
カンフル剤やエッセンスが沢山含まれています、ただ善ばかりではないので
選択を誤れば毒にも偽モノにも出会います。
無我の境地に辿り着くには、昔あるお坊さんから聞いた方法なのですが
無念無想を簡単に頭の中空っぽ頭の中空っぽ頭の中空っぽとたった一つの
コトを集中して想って最後はその頭の中空っぽも捨てて忘れてしまうのです
自身の幸せをイメージし意識の隣の世界からのメッセージを活用して下さい