兄弟姉妹は可能性の選択です。同じ両親から遺伝子を受け継ぎながら
遺伝子の割り当てや前後左右、時には上下や斜めに付与準備された
椅子取りゲームの様相を呈します。ややこしい説明ですがこの椅子取り
ゲームは本当の兄弟姉妹でなくても、生活空間を共有するなら養子でも
参加できますし、いとこでも、全くの他人でも、果てはペットでもその空間の
一部を占有すると言うコトで成立してしまうのです。

 先んじたモノが一つの椅子を占有すると、遅れてきたモノは残った椅子しか
選択できません、この秩序は社会空間にも適用されますが、複雑になり過ぎる為
簡潔に理解する為に、家庭をベースにしてイメージして下さい。例えば兄が
目の前の料理の中で好き嫌いがあるとすると、自然に好きなものを多く食べ、
嫌いなモノを残してしまいます、すると遅れてきた弟には兄が残したモノが
多くある食事をするコトになり摂取する栄養分が違ってきます、勿論両親は
食事のバランスを考え嫌いなモノも食するように促しますが、完全に平衡を
保つコトは難しくなります。

 親が子を選択するコトは出来ませんが、子は両親を自ら選択してこの世に生まれ
てくるといいます、人間の生の理由が自らの魂の成長だとしたら、ある部分理屈が
通ります、別の理由を持つ人もいるそうですが・・親は子を半ば本能的に育てます
ある年代になると自らの経験を基に子を制御しようとしますが子は通常反抗します。
それは貴方の経験と結果であり、私のモノではありません、私には私なりの答えが
あると、上手く行ってもしくじっても自分で選択します。

 生きている時代が少し違うので、同じ環境にはなり得ませんが、選択肢は結構
シンプルなモノです、シンプルな選択の繰り返しで結果が遠くかけ離れてしまうコト
は在り得ます、両親の遺伝子が混合されるので親と全く同じ事象を経験するコトは
無いのですが、確実に同じ部分も存在し、その部分が巻き起こす事象に対する選択に
迫ばまれるコトが有っても不自然ではありません、例えば子育ての方針で夫婦が
揉めた時、予測不能な天変地異で家計に危機が訪れた時、相続の問題で兄弟で
争う破目になった時、様々な原因で厄介な病を患ってしまった時々・・・

 自分が選んだ道が親と違う時もあるし、同じ時もある。親のアドバイスが有っても
無くても、その時点で人生放棄する以外どちらかの道を歩むコトになり、それなりの
結果を頂くコトになります、その結果を追体験するコトで初めて親のコトが理解できる
様になります、親ばかりではなくある時はお祖父さんお祖母さん、叔父さん叔母さん
果ては遠く遡ったご先祖様のコトも理解できるようになります、そして人生の試練の
意味を悟ります、選択に成功するコトも失敗するコトもありません、重要なのは結果を
経験し学ぶコトなのです、だからあの人はああなったんだ!と気付くコトなのです。

 サバンナの草食動物は肉食動物に狩られます、逃げて逃げ回って自分の命を護ります
誰かが犠牲になるとパニックは収まり暫しの平穏な時間が戻り草を食みだします、身体に
問題があるモノ、体力の無いモノ、運の無かったモノ、弱いモノから順に狩られます
そこには正義も悪意もありません、ただ自分の経験から何かを学び、受け継いだ遺伝子の
宿命を追体験し、命が終わるまで選択するしか術は無いのです、捕食者も大差ありません。
ただこれだけは言えるかも知れません、最終選択は自分の責任として自分でするしかない
自分の生は自分を生きるコトしか道がないから・・・・・