法とは為政者が人民を管理する為に作られたモノです、だから法に縛られるコトも、支配されるコトもありません法を破れと言っているのではありません、法を活用して活きている人達は法で縛り支配しているつもりでいますが自分達は枠の外、若しくは傘の上に存在していると錯覚しています、そして結構法をないがしろにしているモノなのです、最近のバーチャルリアリティゲームの世界は広大です、でも実際はほんの数センチメートルの演算装置とメモリーの中のプログラムに過ぎません、はまり込んでその世界に浸ってみても、現実に何かを生み出すモノでは在りませんし、やるべきコトの多い人間が貴重な時間を費やす価値はありません、それと似て法という作り物の規則は人間が拘束されるに値しないと言うコトなのです、法を口にする人は、自分の為に法を論じます、大自然の法に支配されるコトは抗う術もありませんが、天下の大道を歩くのに通行料を出せというのが間違っているというのです、食っていくだけでも大変のなのに、コバンザメのような権力の使い走りにとやかく自分の行く道を通せんぼされる謂れはありません、必要以上に怖がる必要も、気にするコトもないのです、コバンザメはおこぼれを頂戴する存在であり、権力の主権は国民にあります、だから権力の主人公たる国民が恐れる対象ではないのです、使い走りのバックは自分達であり自分が自分達になんの遠慮もいりません、ただ、厄介なのは自分の思い込みです、脅されて萎縮する自分自身が大敵なのです。
やくざ屋さんは怖がって貰ってなんぼの人達です、怖がらない人達相手にビジネスは成り立ちません、オカマさんは見てもらってなんぼの人達です、無視されるコトには弱いです、ただ見てしまうと強いです、男を捨てた男ほど強い存在はこの世にありません、好き放題しゃべっても咎める人はありません、究極の何でもありのオカマさんには敵いません、けれどわざわざ見て貰いたい方向で見てやる必要もないのです、オカマさんに別段言いたいコトもありません、いろいろ事情もお在りでしょう、でも居なくても人生は変わらず存在するのです、特殊な例になりましたが、為政者が作った法が無くても、それぞれの人間の人生は存在するのです、拘る必要も妨害されるコトもありません、働くというコトは傍が楽をするコトだと聞いた人も多いかもしれません、税金を納めれば回りまわって自分や誰かが恩恵に与かります、だから法とは別に正当な税金を出すコトは働くコトの一つの意味でありますし、社会人の勤めです、そんな税金を無駄に使うコトは在ってはいけないのですが、法に隠れてつまみ喰いする人が沢山いるのも現実です・・
金が人を変えるのか、そうしたいが為にそんな仕事に就くのか、そんな人が働いても傍は楽しません、それどころか傍は損をしますので、そんな彼らには働いているという表現は当て嵌まりません、だから要らない存在なのです・・多少税金を投入してもロボット化が急がれる職種であり現在の日本の技術力では充分可能です・・・