名前は忘れましたがたしか女性弁護士だったと思います、その方がテレビでこんなことを言っていました、子供の教育というのは、麻雀に似て最初に配られるパイは基本であるが、巡回して詰み込まれていくパイを組み合わせて役を造り、上がりを目指す手成りの麻雀のように、子供の素材は然ることながら、子供が歩んでいく人生の変化に合わせて組み合わせて行き最初と全く違った形になったとしても手成りの子育てを目指すべきだ仰っておられました、その頃は私は独身で自分の子供のコトとしてより、自分が子供だった頃を回想して、そんなモノなのかなぁ~と感心していました。

 

 最近の義務教育課程の子供はとりあえず必修科目を詰め込まれます、現代人の基礎教育は年々変化し常にその時に必要だと選択された教育を織り交ぜながら子供に対し課していく指針で教育するコトになっています、新しく増えた科目を入れてしまうと学校内では全然時間が足りなくなり、家庭内教育や学習塾の協力で補う想定になってしまっています、その間に子供は他の習い事をこなしたりして、自分の時間が失われてしまい、唯一の逃げ場所がゲームの世界だったりします、ある時期そんな子供達の将来を憂いもっとゆとりのある教育をというコトで、教育制度の見直しを図られた時期もありましたが、結局いたずらに制度を乱しただけで立ち消えになってしまいました、子供は相変わらずの環境に立たされたままです。

 

 パソコンから流される膨大な情報は子供達の目にも耳にも入り込んでいます、その中には親や先生が言っていたコトや教えられていたコトとは全然違う世界が広がり情報が乱れ飛んでいます、これも子供たちに与えられる変化の素材の一つなので確実に子供達の意識に組み込まれていくコトになり、制御することも難しいでしょう、こんな知識の取り入れは子供たちは誰に強制される訳でもなく、むしろ自発的に率先して行います、それは困ると親や先生が慌てふためいても、その先生のスキャンダルや親の実情を発信しているのは子供ではなく立派な社会人たる大人達であるというのも現実です、警察官に先生に医者に判事に政治家に神職者に僧侶に凡そあるまじき行為が連日のようにネットに晒されています、そしてそんな倫理の模範たるべき人が人倫を乱すニュースを子供たちも視ているのです、この子供たちが実際に社会を動かす年代になればその影響は如実に現れるコトになるでしょう。

 

 職権乱用や公職者や神職者が起こす事件は昔からありました、ただ昔は権力でもみ消して都合の悪いコトは無かったコトにもされてきたのですが、時代はそれを許さなく成ってきているのです、消しても削除しても拡散されていきます、現在はもみ消し不可能な時代に突入しているのです、昔には何の問題も無かったし問題に出来なかった国政の長のスキャンダルも現実の裁判で罪を逃れるコトができてもインターネットの匿名判事達の裁判所では許してもらえるコトはないのです、それが嫌ならそんな偉い人はずるいコトをしてはいけないのですが、これも不可能です、人間は権力を利用してずるいコトをしたい生き物なのです、ならどうしましょう、根本的に教育制度を改革し、駄目だ、いけない、こうしなさい、みんな一緒にというしかない指針の方を変えるしかないでしょう、そうすれば先生の選び方も必然的に変わります、学校教育も我慢させる教育をやめて、子供の素材と自分でやりたい過程を自分で選択させる自発教育の準備をしてやれば、子供の潜在能力も開花されるし来る未来に対し有用な人材育成にも繋がると思うのですが・・

 

 もともと自由な存在である子供を型に嵌めようとするコトにそもそも無理が在るのです、その抑制された無理が暴走しあるまじき事件となっているのです、隠すことが出来ないなら積極的に人の裏表を見せその使い分けの方法を見てもらうのも一つの方法です、昔の少年野球の監督は子供達に練習中は水を飲むなと強制し忍耐を強要しました、今では運動中の水分補給は身体を護る為の常識になっていますので、そんなコトをする監督はいませんし、したら告発されます、テレビでそんな回想を話していたプロ野球選手がいました、その選手は本人も含めてプロになる選手達は例外なく監督の目を盗んで水分補給をしていたと言っていました、いくら昔常識であったってそんなモノは現在には通用しないコトも沢山在るのです、そんな変化するモノを未来を担う子供達に強要するコトは何の責任も取れない大人達のエゴでしかないのです、子供たちが自発的に伸びたい方向に伸びるコトが出来る選択肢を出来る限り多く準備してあげるコトが大人達の責任です、子供はあくま自分の意思で自分の道を選択するという、例えて合気道の達人が相手の力を利用して相手の動きを誘導するみたいな教育スタイルが今必要なのです、子供たちは自分の意思で選択したのだから責任感を持って近未来を構築してくれるのではないでしょうか?・・・