海は童謡にあるように広く大きいです、しかも世界の海はほとんど繋がっています、繋がっているから海流も起き、波も伝わります海の定義の仕方にもよりますが、閉ざされた海も存在します、分水線で分けられた水の流れは山を下り谷を流れ低いところに集まります、集まり溢れた水は海へ辿り着きますが、湖は淡水のまま水を蓄え、塩分が多いと塩湖となります、湖にも静岡の浜名湖のように元々湖が一部海と交わり薄い塩分を持つコトもあれば、死海のように閉鎖された塩湖が流れ入る水と蒸発する水分のバランスで極めて塩分の濃い塩湖として存在し大海とは繋がりを持たない文字通り、生き物も住む事の出来ない死の海もあります。
基本的には全ての海は一つなのですが例外もあるというコトになります、最近は地球内部にも水分を沢山含んだ所がありそうだと、理論が展開され、その量たるや地表に見える全ての海の水量を遥かに凌ぐモノだと言われています、物事には基本的な形はあっても例外は付いて回るモノなのです、人間自体もよく知られているように、その身体の新生児の75%から老人の50%ぐらいまでは水分なのです、そしてその水分も代謝をするコトにより海とも繋がっています、しかも体内に存在するときは生理的食塩水即ち塩分を含む成分として循環し、その濃度の加減が生命活動の形の一つであるのです、濃くなれば薄められ、薄い状態はやがて濃くなります、細胞には浸透膜があり絶妙のバランスで必要に合わせ内外で交換が行われます、しかし何らかの原因でその水の流れが滞り、循環が阻害されてしまうと、死海のように正常な細胞の機能が妨害を受け変異して異常活動を起こすこともあります、病変です。
これは身体的循環だけに留まらず、精神的にも似たようなトラブルを誘発して異常の原因になったりもするのです、身体が適度な運動や毎日の入浴をする事により、血の廻りを善く整えると健康が維持できるように精神も日頃のストレスを十分な睡眠や静かな姿勢でリラックスな状態に身を置くことでハードは安めるコトが可能です、精神のソフトウエァは思考です、拘りや思い込むことが滞りを呼び込むので、意識して思考そのモノを流していかなくてはなりません、ある時は頭を空っぽにし、ある時は普段とは逆の思考をするのも一つの方策となります、思考に凝り固まった汚れが取れる方向での努力ならなんでも良いのです、度を越えて凝り固まってしまうと、そこは健全な思考の居場所では無くなってしまいます、身体が暴走を起こせば精神も破綻し、精神がヘドロに巻かれると身体は病気になるのです、二つそろって初めて一人の人間なのでどちらも疎かには出来ません、身体が健康であれば精神に希望が生まれ、精神が安定すれば身体に気力も出てくるのです、二つ揃えば不可能に思えるコトも可能になり易くなりますし、どちらか欠ければ可能なコトも不可能になり易くなってしますのです・・それが自分をコントロールするというコトで、そこを征服すると初めて人生を自在に駆け回る舞台に立てるのです・・・