人は社会的動物です、一人でいると不安に駆られ何時も誰かと徒労を組もうとしますし、集団の中で才能が発揮される人もいます、いくら個人的にバランスの取れた有能な人でも、組織的な人の利害に巻き込まれると言われ無き中傷を受けたり、組織にとって有意義な行動を妨害されたりします、人は成長過程において同じ環境を与えられている訳ではありません、持って生まれた個性も遺伝的に引き継がれたモノや環境に影響を受けた形で育まれたりもします、スポーツの上手な子、勉強の出来る子、絵を上手に描く子、友達付き合いが上手な子、逆に突出した個性が見受けにくい子はお友達に助けて貰うコトが上手になったりもします、親の後押しで世の中のある程度の位置まで上がる子もいます、それもその子の個性であり能力の一つでしょう、但し傍から見えるモノとは違った状況が実際はあったりもして普通の子が経験しない苦労もします、個性や能力は一つだけに特化されるというコトもありません、総合的にバランスよく上手に能力を持ち合わせる子もいます、人並み外れた体格で体力や気力も養われるとお相撲さんになる道を選べるかも知れません、これは誰にでも選べる道ではありませんが、この道が最高ということでもありません。

 

 人は自分の得意とする能力を開花させその能力を活かせる道に進んだり、進めなくてもその人の個性の一つとして周囲に認識されるコトになります、政治家の世界では権謀術数を駆使し出し抜きや抜け駆けが日常茶飯事のように、行われています、政界に限らずとも集団や組織には全て似たような論理が渦巻きます、これは人間が組織という領域でルールに縛られて行動している為の一つの現象です、組織内では一人の能力は認知されても組織の理屈で不採用になったりしますので、人はどれかの派閥に参加することになります、グループとして能力をアピールすると、組織全体を動かすことも可能になりますし、勢いがつけば組織を掌握することも出来たりします、しかしグループは一つだけではないので勢力争いをし、対立グループの追い落としがグループの活動目的に加わるコトになります、この時グループの中の個人の様々な個性の能力が適所で発揮されるコトになり、上手に配置され対立グループの弱点をピンポイントで突くコトで、勢力の入れ替わりのきっかけに出来たりします、そんな時に発揮される能力は、正攻法とは言いづらい汚れ役に適した卑怯卑劣なモノだったりもするのです、そしてそんな個性も勝てば官軍でグループ内の勝者の一人となります、しかし二つのグループの対立で力の均衡が失われると、そのハザマに頭を抑えられていた第三のグループが台頭してくることもあり、勢力争いに敗れた個人を取り込み組織を掌握したグループの反対勢力に育ったりします、そのグループは抑制を受けている時や台頭してくる過程で掌握グループのやり口や負けたグループの敗因を学んでいますので、掌握グループに対し安易に排除されるコトのない耐性を持っています、そしてその内、勢力争いが始まり世代が交代するコトになって行きます。

 

 この組織内のグループの台頭は様々な可能性を時間軸に残していこうとする大自然の摂理に起因します、真菌や細菌の勢力争いから耐性菌が発生するのも、草原の雑草の勢力争いも蟻や蜂のグループの対立も、池の中のバクテリアも、猿山のサルもライオンのプライドをかけた勢力争いの戦いも全て同じです、組織に活きる人間も組織にいる限りその摂理の理屈の大網の外に出ることは適いません、しかし人は他の生物と決定的に違う部分があります、人間は人間の勢力争いの歴史からだけでなく、様々な生物の勢力争いを観察し学ぶことが出来るし、真菌や細菌の勢力争いなどからは人の病気を治す抗生剤まで抽出することが出来るのです、大自然の中の摂理に活きながら思念は客観的に大網の外からも自分達を観察するコトが可能なのです、組織内の勢力争いは主導権の取り合いであり本来組織全体を向上させるのとは別のモノですし、必要悪も発生させてしまいますし必要善も消滅させています、競争により生存力の強い容を残せたなら次の段階にシフトしなければなりません、大自然は無駄なモノは何一つ与えません、大自然が人間に自分達を客観的に観察できる能力を与えている理由は、人間でしか為しえない組織やルールの網から飛び出した回答の可能性の為なのです、その回答は無視されて潰されてきた個人の可能性の中にあるのかも知れません、その回答を探求して手にするコトも人の人たる存在理由の一つでしょう・・・