自分にとって都合の悪いコトは忘れています、代わりに記憶の中は自分の善かったコトや善かったコトにして置きたかったコトなどは歪曲してまでも保管されています、少し悪質な場合は事実と真逆な記憶を捏造して刻み込まれていたりもします、これらは人の精神の自己防衛機能です、誰だって記憶の奥深くには一つや二つ誰にも打ち明けることが出来ない傷があるものです、何かの機会に記憶を呼び起こされると、慌てて再び仕舞い込む作業が行われます、そんな傷が元で無意識のうちに思考回路が本来選択されるコトの無いルートで想いを巡らせて、頭の中で出された回答に影響を与える時もあります、自分自身で何度もそんな作業を繰り返すと、今度はそちらのルートが正しいと思考に刷り込まれてしまい、何を考えても元来の思考ルートで考えることが難しくなり、本人特有の思考パターンとして性格の一部を形成するようになります、勿論その人が人生で経験したり見聞きし取り入れたモノの考え方も自分の個性の要素として性格に加味されますし、他人に同じ考えを持って貰い共有するコトで、自分自身の考え方が間違っていないんだという認識の再確認することで精神的安定を得ようとします、このあたりまでは全く一般的に誰にでもあるコト柄で、問題までとは言えないのですが、記憶の奥底の傷が深すぎたり、世間から感化される考え方が強烈な場合は、時として考え方そのモノが極端な角度に捻じ曲げられてしまい精神的に問題を起こします。
精神科医はその原因となる事象を催眠を掛けて記憶を辿り患者本人に打ち明けさせ、隠された傷を炙り出し、もはや秘密では無くなったという状況に連れ出し、問題の根幹部分を知り修正するコトにより治療します、キリスト教の懺悔にもそんな効用があります、神父を通じ神に自分の悪事を打ち明け反省するコトにより許しを得て精神の健康を維持します、名作映画ゴットファーザーでも主人公のマフィアのボスが自身の行いを懺悔し、心のバランスを得ていました、人は人生で善き行いも悪い行いもどちらもします、悪いコトを沢山して金銭的に成功した人は、帳尻を合わす為に神様仏様に多額の寄付をしたり、慈善活動をバックアップする資金を提供したりすることがよくあります、自分で悪事だと意識しているコトで成功すると、何時の日か悪事の部分を消し去ろうと世間的に善き事と言われるコトを行って帳消しにしようと無意識の自己防衛機能が働くのです、本当に帳消しになるかどうかは二の次です、要は本人が納得し心の整理が出来れば目的は達成されます、世の悪い人を自認している人にとってもその調子なので、いわんや平凡な一般人には、自分の悪事をそのままの認識で心の中に収めておくことは出来ません、あえて世の中では悪も善も明確に分けるコトが出来ないという前提にしても、悪事の記憶は自分の精神を蝕み最悪崩壊せしめますし、身体に直接作用して病気を誘発したりもします、何が善悪の境目かの教育を受けていない人でも教育した途端、罪の意識に苛まれます、悪事を働いて運悪くか運良くかは立ち位置にも依りますが悪事が裁かれて刑が確定すると、悪事に見合う獄中生活を強いられ身体で強制的に学ぶコトになります、懲役では帳尻の合わない悪事を行い矯正の余地が無いと判断されれば最高刑により人生が停止します。
こんな極端なパターンは例外として、法で人を裁くとき証拠を重要視します、いくら証人や状況が犯人を特定していても、証拠が出てこなければ、犯人の自白でしか判断できないコトになります、証拠があったとしても判例が引っ張り出されますし、判断する人も神様ではありませんのでミスも犯します、まして証拠が意識的に歪曲されたり上手に捏造されていたりすると、現在の法では真実を炙り出すコトもほとんど不可能となります、証拠が大事なのは理解できますが、証拠に判断を委ねてしまうのは非常に危険なコトになります、人は自分の記憶を都合により改造します、勝者は敗者の歴史を塗り替えます、固定された判例を基準に判断するコトも理解は出来ます、しかし判例と全く同じケースの事件も存在しないのです、人は基本的に自分を正当化する所があります、悪い言い方をすれば嘘吐きな部分があるのです、それほど人は自分を自分自身で否定しては生きていけないモノなのです・・
ルーマニアに仕事で一度だけ行ったコトがありました、12月に入った寒い季節でしたがクリスマス前というコトで街には品のあるイルミネーションが飾られサンタクロースの人形もレンガ造りの外壁にしがみ付きそれなりの趣が演出されていました、タクシーの若い運転手と片言の英語で会話するとルーマニアをアピールするのにとりあえず金メダリストのコマネチを連呼し、遠景の山岳地帯を指差しながら、あの山を越えたトランシルヴァニア地方はかの有名なドラキュラ伯爵の発祥地であるコトを、自分の口に指で牙のモノ真似をしながら私にアピールしていたのを記憶しています、私は漠然とそういえばトランシルヴァニアはルーマニアにあったかな?ぐらいに思っていましたが、最近その地方の山奥に不思議な洞窟が発見され、専門科学者が秘密結社に招請されて辿っていくと広い空間に出くわしそこには異星人が設営した3次元ホログラムに依る映像が延々と映し出され、人類だけに留まらずまるで地球の歴史図書館ようになっていたそうです、コトの真相は判断する術がありませんし、眉唾の可能性も高いと考えますが、その不思議な話の中その科学者の判断として映し出されていた人類の歴史の映像は、現在正式に人類が残し伝えられているモノとは凡そ90%の部分で異なっていたというのです、その部分だけは案外あり得るかも知れないと思っています、悪いことをする人は先ず証拠隠滅を考えますし、助かりたい為に嘘も吐きます、勝てば官軍、歴史書は勝者により編纂され都合の善い様に歪曲されます、貴重な証拠も捏造の可能性があり、判断基準も強引に判例ケースに当て嵌められ、そして裁決を執る人も自分は大岡越前だと誤解するような不完全な人間なのです、これでは真実は残せませんし、残りようもありません、凡そ歴史書と呼ばれるモノは一つの外伝として止めておくのが正しい判断かも知れません、9割が嘘なら逆に異端と呼ばれる書物や偽書と扱われる書物の内容を混ぜた方が真実に近くなる可能性も出てきます、これは歴史書を元に現在を語るなというコトでしょう、言い方を換えれば人類に歴史書は要らないコトにも繋がります、究極的には法そのモノも必要ないのかも知れません・・
この発想は現時点では少し危険性を孕みますが・・でも真実は在ったでしょう、ただ真実も一つとは限らないのです、真実を一つに決めてしまう時点で切り捨てられるところが生まれてしまうのです、一つに絞ろうとすればするほど、矛盾は増えていくのです・・だから真実は貴方の記憶にも私の記憶にも全ての人の頭数だけ存在してもおかしくないのです、真実は暗号通貨の共同管理のように全ての現在生きている人々の脳がネットで繋がり共同管理するべきモノなのかも知れません・・・